ある日の早朝、グラマン三機に奇襲されたことがあった。仏印(ベトナム)方面から飛来したものと思われた。小型爆弾を海中に投棄して、西方に飛び立った。
総員起床の前であったので、不意を突かれて対空砲火が間に合わなかったが、飛行甲板に待機していた零戦五機が飛び立って、二機撃墜の報がもたらされた。
その夜のことだった。副長は、ぐでんぐでんに酔っ払って正気でないため、次席の砲術長に巡検を代行してもらった。
ところが、下士官搭乗員室では、飲めや歌えの、ドンチャン騒ぎをやっていた。静粛であるべき巡検だろいうのに。
あまつさえ、素っ裸の下士官搭乗員が、空のビール瓶を股間にぶらさげて、腰をくねらせながら、「弾の出ない鉄砲、ふぬけの○○○○と変わりない、そんな親父の顔見たい……アーコリャコリャ……」と歌いながら踊ると、まわりから、どっと哄笑が巻き起こった。
普段は温厚な砲術長も、このときばかりは、顔色を変えた。板倉中尉は思わずカッとなって、駆け寄り、裸踊りの横面を思いっきりひっぱたいた。
これを見るなり飛行科の先任下士官が飛んでくるなり、血相を変えて、「私たちは飛行長の許可を得ています。それなのに殴りつけるとは……」と言った。
板倉中尉が「黙れッ!軍艦日課を変更できるのは、艦長だけだッ!飛行長に権限はない―。それとも、貴様たちは艦長の許可を得たとでもいうのかッ!」と一喝すると、みんなしゅんとなってしまった。
敵機を撃墜したことで、羽目をはずす気持ちは分からないでもなかったが、砲術長に当てつけた、これ見よがしの侮辱だけは、板倉中尉は断じて許せなかった。
余憤さめやらずして板倉中尉がガンルームに帰ったところ、早くも注進におよんでいたものとみえて、クラスメートの飛行士たちが、「戦果をあげて飲むのは、これまでのしきたりだ。貴様の立場は分からんでもないが、それにしても、少しやり過ぎではないか」と言いに来た。
板倉中尉は着任以来のウップンがどっと噴出して「いままでがどうであろうと、俺は俺の流儀でやる。これからもビシビシやるから、分隊員によく伝えておけ。だいたい、貴様たちが甘やかし過ぎるから図に乗るのだ。少しは反省しろ」と、クラスメートにまで当たり散らした。
その翌日、日課手入れの時間に艦内を回ってみると、搭乗員室だけが、杯盤狼籍!昨夜のままであった。板倉中尉はまたもや頭にきた。
ただちに非番の者全部を集めて清掃を厳命した。「俺が、よろしい、と言うまでやれ。いうまでもないが、終了するまで昼食抜きだ」。
さらに、十名あまりの見苦しい長髪族に、「丸坊主になれ」と厳達した。海軍には、髪をのばしてはいけないという規則はない。
強いて言えば、艦船職員服務規程に、「質実剛健ニシテ、容姿端正旨トスベシ」という一項がある。髪を切らせる理由はこれしかなかった。
ところが、二日たち三日過ぎても、一向に断髪令が実行されなかった。板倉中尉は遂に堪忍袋の緒が切れて、鋏で一握りずつ前髪を切り取った。一度命じたことは必ず実行させる。これが板倉中尉の主義だった。
翌日の昼食後、丸坊主の十数名がガンルームに現れて、それぞれの分隊士に、櫛とポマードの瓶を差し出して、「不要になりましたので、ご使用ください」と言った。
これを見た板倉中尉は、怒髪天を突き、「待てッ!」と、大喝した。そして、各自が持っている櫛とポマードを改めると、新品は一つもなかった。
「貴様たちは、どこまで思い上がっているのだッ!自分の使い古しを分隊士に使わせるつもりか。それとも、俺に対する面当てかッ。どちらだッ!」。
板倉中尉の激しい見幕に、みんな急に表情が変わった。中には、小刻みに震えだすのもいた。
「そのままとっくり考えろ。そして……、自分がやったことが正しいと信ずる者は帰ってもよい。悪かったと思う者は、そのまま立っていろ」と、板倉中尉。
帰った者は一人もいなかった。そのうちに、耐え切れなくなったのか、言い合わせたように、床にへばりこみ、「私たちが間違っていました。二度とこんなことはいたしません」と言って平身低頭して謝った。
分隊士らのとりなしもあって、放免したが、板倉中尉は、心中、釈然としないものがあった。
そのころ、渡洋爆撃の戦果がはなばなしく報道されて、搭乗員にあらずんば人にあらず、という風潮が瀰漫(びまん)していて、傍若無人の振る舞いが多く、板倉中尉はにがにがしく思っていた。
総員起床の前であったので、不意を突かれて対空砲火が間に合わなかったが、飛行甲板に待機していた零戦五機が飛び立って、二機撃墜の報がもたらされた。
その夜のことだった。副長は、ぐでんぐでんに酔っ払って正気でないため、次席の砲術長に巡検を代行してもらった。
ところが、下士官搭乗員室では、飲めや歌えの、ドンチャン騒ぎをやっていた。静粛であるべき巡検だろいうのに。
あまつさえ、素っ裸の下士官搭乗員が、空のビール瓶を股間にぶらさげて、腰をくねらせながら、「弾の出ない鉄砲、ふぬけの○○○○と変わりない、そんな親父の顔見たい……アーコリャコリャ……」と歌いながら踊ると、まわりから、どっと哄笑が巻き起こった。
普段は温厚な砲術長も、このときばかりは、顔色を変えた。板倉中尉は思わずカッとなって、駆け寄り、裸踊りの横面を思いっきりひっぱたいた。
これを見るなり飛行科の先任下士官が飛んでくるなり、血相を変えて、「私たちは飛行長の許可を得ています。それなのに殴りつけるとは……」と言った。
板倉中尉が「黙れッ!軍艦日課を変更できるのは、艦長だけだッ!飛行長に権限はない―。それとも、貴様たちは艦長の許可を得たとでもいうのかッ!」と一喝すると、みんなしゅんとなってしまった。
敵機を撃墜したことで、羽目をはずす気持ちは分からないでもなかったが、砲術長に当てつけた、これ見よがしの侮辱だけは、板倉中尉は断じて許せなかった。
余憤さめやらずして板倉中尉がガンルームに帰ったところ、早くも注進におよんでいたものとみえて、クラスメートの飛行士たちが、「戦果をあげて飲むのは、これまでのしきたりだ。貴様の立場は分からんでもないが、それにしても、少しやり過ぎではないか」と言いに来た。
板倉中尉は着任以来のウップンがどっと噴出して「いままでがどうであろうと、俺は俺の流儀でやる。これからもビシビシやるから、分隊員によく伝えておけ。だいたい、貴様たちが甘やかし過ぎるから図に乗るのだ。少しは反省しろ」と、クラスメートにまで当たり散らした。
その翌日、日課手入れの時間に艦内を回ってみると、搭乗員室だけが、杯盤狼籍!昨夜のままであった。板倉中尉はまたもや頭にきた。
ただちに非番の者全部を集めて清掃を厳命した。「俺が、よろしい、と言うまでやれ。いうまでもないが、終了するまで昼食抜きだ」。
さらに、十名あまりの見苦しい長髪族に、「丸坊主になれ」と厳達した。海軍には、髪をのばしてはいけないという規則はない。
強いて言えば、艦船職員服務規程に、「質実剛健ニシテ、容姿端正旨トスベシ」という一項がある。髪を切らせる理由はこれしかなかった。
ところが、二日たち三日過ぎても、一向に断髪令が実行されなかった。板倉中尉は遂に堪忍袋の緒が切れて、鋏で一握りずつ前髪を切り取った。一度命じたことは必ず実行させる。これが板倉中尉の主義だった。
翌日の昼食後、丸坊主の十数名がガンルームに現れて、それぞれの分隊士に、櫛とポマードの瓶を差し出して、「不要になりましたので、ご使用ください」と言った。
これを見た板倉中尉は、怒髪天を突き、「待てッ!」と、大喝した。そして、各自が持っている櫛とポマードを改めると、新品は一つもなかった。
「貴様たちは、どこまで思い上がっているのだッ!自分の使い古しを分隊士に使わせるつもりか。それとも、俺に対する面当てかッ。どちらだッ!」。
板倉中尉の激しい見幕に、みんな急に表情が変わった。中には、小刻みに震えだすのもいた。
「そのままとっくり考えろ。そして……、自分がやったことが正しいと信ずる者は帰ってもよい。悪かったと思う者は、そのまま立っていろ」と、板倉中尉。
帰った者は一人もいなかった。そのうちに、耐え切れなくなったのか、言い合わせたように、床にへばりこみ、「私たちが間違っていました。二度とこんなことはいたしません」と言って平身低頭して謝った。
分隊士らのとりなしもあって、放免したが、板倉中尉は、心中、釈然としないものがあった。
そのころ、渡洋爆撃の戦果がはなばなしく報道されて、搭乗員にあらずんば人にあらず、という風潮が瀰漫(びまん)していて、傍若無人の振る舞いが多く、板倉中尉はにがにがしく思っていた。