陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

577.源田実海軍大佐(37)司令、最後にあなたゆきますね、紫電改で。どうぞ、やりましょう

2017年04月14日 | 源田実海軍大佐
 雑誌や戦記シリーズでは、「最強戦闘機紫電改」(大型本・丸編集部・光人社)、「紫電改 最後の戦い」(双葉社スーパームック)、「局地戦闘機『紫電改』完全ガイド」(イカロス・ムックWW2傑作兵器シリーズ)、「局地戦闘機紫電改―海軍航空の終焉を飾った傑作期の生涯」(歴史群像・太平洋戦史シリーズ24・学研)などがある。

 「紫電改」が集中配備された、「剣部隊」(第三四三海軍航空隊・松山)は、司令・源田実大佐、飛行長・志賀淑雄少佐の下に、次の三人の個性的な戦闘機隊長がいた。

 戦闘七〇一飛行隊(維新隊)隊長・鴛淵孝(おしぶち・たかし)大尉(長崎・海兵六八・第三六期海軍練習航空隊飛行学生・大分海軍航空隊・戦闘機専修・中尉・横須賀海軍航空隊教官・大分海軍航空隊教官・第二五一海軍航空隊分隊長・第二五三海軍航空隊分隊長・大尉・戦闘第三〇四飛行隊長・セブ島上空の空戦で負傷・別府海軍病院に入院・第三四三海軍航空隊・戦闘七〇一飛行隊長・戦死)。

 戦闘四〇七飛行隊(天誅隊)隊長・林喜重(はやし・よししげ)大尉(神奈川・海兵六九・第三七期海軍練習航空隊飛行学生・大分海軍航空隊・戦闘機専修・中尉・第二五一海軍航空隊・第二五三海軍航空隊分隊長・厚木海軍航空隊・大尉・第三六一海軍航空隊・戦闘四〇七飛行隊長・第三四三海軍航空隊・戦闘四〇七飛行隊長・戦死)。

 戦闘三〇一飛行隊(新選組)隊長・菅野直(かんの・なおし)大尉(朝鮮・海兵七〇・第三八期海軍練習航空隊飛行学生・大分海軍航空隊・戦闘機専修・中尉・厚木航空隊・第三四三海軍航空隊(隼部隊)分隊長・第二〇一海軍航空隊・戦闘三〇六飛行隊分隊長・第二神風特攻隊直援任務・第三四三海軍航空隊・戦闘三〇一飛行隊長・戦死)。

 昭和二十年四月八日、第三四三海軍航空隊(剣部隊・司令・源田実大佐)は、四国、愛媛県松山市から、鹿児島県の鹿屋基地に移動、沖縄に上陸する米軍を迎撃する「菊水作戦」に参加した。その後、四月二十五日には、長崎県の大村基地に移動した。

 その頃、「航空作戦参謀 源田実」(生出寿・徳間文庫)によると、三四三空司令・源田実大佐が、第五航空艦隊(司令長官・宇垣纒中将)司令部から大村基地に帰って来た。帰って来た源田大佐は、飛行長・志賀淑雄少佐と次の様に話し合った。

 源田大佐「うちから特攻を出せと言うんだ」。

 志賀少佐「はあ、わかりました」。

 源田大佐「どうする」。

 志賀少佐「参謀は誰が言いましたか」。

 源田大佐「………」。

 志賀少佐「いいですよ、私が先にゆきましょう。あとは毎回、兵学校出身者を指揮官にしてください。鷲淵(孝大尉)、菅野(直大尉)、みんなゆきます。兵学校全部ゆきます。そのかわり、私が最初にゆくときに、後ろの席に、その参謀を乗せてゆきましょう。敵の艦は沈めます。司令、最後にあなたゆきますね、紫電改で。どうぞ、やりましょう」。

 この志賀少佐の言葉を聞いて、源田大佐はひと言も無く、黙していた。その後、三四三空の特攻は、沙汰止みとなった。

 三四三空には、元気者の暴れん坊が揃っていて、外出先でしばしばトラブルを起こすことがあった。ある日、外出した下士官の隊員が、こともあろうに、陸軍の憲兵と喧嘩して殴り倒してしまった。

 当然ながら大問題となり、呉鎮守府から参謀がやって来て、「軍法会議にまわすから、犯人を引き渡せ」と申し入れて来たが、司令・源田実大佐は次のように言って、きっぱりと断った。

 「今、九州の制空権は、どこの航空隊が握っているか知っているか。言うまでもなく我が三四三空だ。その航空隊の搭乗員を軍法会議に連れて行ったら、あと九州の空は誰が守るのだ。どうしても引き渡せと言うなら、戦死して骨になったら、渡そう。帰り給え」。

 この源田大佐の、小気味のいいタンカに、呉鎮守府の参謀は仕方なく帰っていった。

 これは騒動の当事者の一人である、戦闘四〇一飛行隊の小高登貫上飛曹が、指揮所の陰から見聞した顛末だった。