■花冷えのする3月30日(土)午後6時から、安中市内で第3回碓氷安中翠巒(すいらん)会が開催され、36名が集いました。この会は、碓氷安中地区に在住する高崎中学及び高崎高校の卒業生の皆さんで構成されています。安中市と松井田町の合併を契機に、それまで旧安中地区で22回行われてきた安中地区の同窓会を4年前に一緒にしたものです。

冒頭、司会の75期・早川正雄事務局長が「昨年2月は50名以上集まったが、今年は年度末なので仕事等の都合で出席者が36人にとどまったものの、情報交換の場にしてほしい」と述べました。
次に、開会の辞を59期・金田年弘幹事長から「母校野球部は夏の甲子園に向けて猛練習中。現在2年生と3年生で部員が70名おり、今年1年生が順調に入ってくれれば100人になるのを期待したい。昨年のセンバツ出場の寄付金の残りを利用して室内練習場が完成した。野球部ばかりでなく他の部活でも使われるが一度見学してほしい。本日は中国の琵琶奏者を呼んでいる。胸襟を開いて歓談してほしい」と挨拶がありました。
その後、会長の挨拶として、57期・高橋重治会長が「毎年こうした会が盛会でうれしい限り。最年長の(41期・)多胡(仁)さんは今年1月に米寿を迎えられた。年を経ても母校のスローガンの3F精神、即ちフェアプレー、フレンドシップは維持できるが、ファイティングスピリットが次第に衰えつつある。この会でぜひ皆さんからパワーを頂きたい」との言葉を発しました。
その後、2番目に年長の48期・金井義則先輩が、先輩代表の挨拶として「松井田在住で初めてお目にかかる。1、2回目は都合で出られなかったが、旧安中では平成の初めから同窓会をやっており、いつもいいなあと思っていた。こうして母校を同じくする皆さんに出会えて、若いころの自分の気持ちがよみがえる。新聞のスポーツ欄をよむと、いつのまにか高崎高校が出ているかと探している自分がいる。母校での3年間の短い青春の源はいつまでも脈々とこころに息づいている。翠らんを誇らしく思う」と初参加の感想が述べられ、会場内から大きな拍手がまき起こりました。
続いて、52期・中島徳雄副会長による乾杯の発声がありました。発声に先立ち中島副会長は「安中は今、八重の桜で盛り上がっている。全国ネットで安中が紹介されることを期待する。また、阿部内閣で72期の下村博文氏が文科大臣に就任。同市は板橋で6回連続当選しており、教育分野では国会議員の5本の指に入る。先日2月23日にホワイトインで同氏のセミナーが開催され非常に教育行政に精通していることがわかった。非常に期待できるのでぜひ応援してほしい」と挨拶がありました。
全員で乾杯の唱和をしたあと、司会を77期・小川浩伸氏に代わり、同氏によりアトラクションの中国琵琶演奏者が披露されました。
演奏者は、中国青島市出身で西安音楽大学院卒の王偉華氏です。1986年に初来日後、日本全国でリサイタルを開催。現在は高崎に在住し、国内に留まらず米国ニューヨーク、豪州、シンガポール、香港、マレーシアなど世界各地で演奏活動を行っているとのことです。また、つい2日前に閉校した創造学園大学の特任助教授だったそうです。

中国琵琶の音は耳にしたことがあっても、実際の中国琵琶の演奏は初めて目にする参加者が多く、ご本の指に演奏用の爪を絆創膏で固定して、トレモロ奏法等を駆使して生み出される奥深い音色とメロディーは会場を魅了しました。

最初に中国琵琶楽器の紹介がてら、夜来香(イエ・ライ・シャン)が演奏されました。その後、中国琵琶について説明があり、もともとインド由来のこの楽器は、朝鮮半島を経て日本にも伝わりました。日本では古来の形をとどめているのに対して、中国琵琶は時代を経て、どんどん変化し、とくに1960年代に西洋音楽を取り入れて、半音を出すためのフレットの数がどんどん増えたのだそうです。
次に、中国の唐の時代の誌を、昔風の、京劇っぽいメロディーに乗せて弾き語る「ヤングァンサンティエ」という曲が披露されました。遠くに旅立つ友人を見送る際の気持ちを歌った詩だそうです。
最後は、日本の歌で「青葉の笛」が演奏されました。奏者によれば、わずか16小節の曲だが、平和の尊さを曲に込めていつも演奏することを心がけているのだとか。ある時は激しく、ある時は静かに、強弱とテンポにメリハリをつけた演奏に一同聞き入りました。

アトラクションのあとは、参加者の自己紹介やテーブルをあちこち移動して歓談が行われました。
2時間があっという間に過ぎて、87期の応援団長だった櫻井健一幹事のエールに合わせて応援歌と校歌を熱唱。記念写真を撮った後、60期・小板橋孝之副幹事長の音頭で万歳三唱を行い、同じく60期の小井土政世副幹事長による閉会の辞で、第3回碓氷安中翠巒翠は盛会のうちに幕を閉じました。
その後16名ほどが二次会に繰り出し、さらに親交を温め合いました。
■来年は2月頃開催される見通しですが、金田幹事長によると、「今回、第3回の碓氷安中翠巒会開催にあたり、碓氷安中地域に在住する卒業生に案内状を450通出したが、出席者は僅かに36名に留まった」形となりました。
そのため、次回はそれぞれの同期にもっと声をかけて、大勢の参加者を募りさらに賑やかに盛り上げられるよう、参加者にハッパがかけられました。
なお、今回も“高崎高校通信制を中退”と自称しておられる岡田義弘・安中市長は出席されませんでした。
【ひらく会情報部】

冒頭、司会の75期・早川正雄事務局長が「昨年2月は50名以上集まったが、今年は年度末なので仕事等の都合で出席者が36人にとどまったものの、情報交換の場にしてほしい」と述べました。
次に、開会の辞を59期・金田年弘幹事長から「母校野球部は夏の甲子園に向けて猛練習中。現在2年生と3年生で部員が70名おり、今年1年生が順調に入ってくれれば100人になるのを期待したい。昨年のセンバツ出場の寄付金の残りを利用して室内練習場が完成した。野球部ばかりでなく他の部活でも使われるが一度見学してほしい。本日は中国の琵琶奏者を呼んでいる。胸襟を開いて歓談してほしい」と挨拶がありました。
その後、会長の挨拶として、57期・高橋重治会長が「毎年こうした会が盛会でうれしい限り。最年長の(41期・)多胡(仁)さんは今年1月に米寿を迎えられた。年を経ても母校のスローガンの3F精神、即ちフェアプレー、フレンドシップは維持できるが、ファイティングスピリットが次第に衰えつつある。この会でぜひ皆さんからパワーを頂きたい」との言葉を発しました。
その後、2番目に年長の48期・金井義則先輩が、先輩代表の挨拶として「松井田在住で初めてお目にかかる。1、2回目は都合で出られなかったが、旧安中では平成の初めから同窓会をやっており、いつもいいなあと思っていた。こうして母校を同じくする皆さんに出会えて、若いころの自分の気持ちがよみがえる。新聞のスポーツ欄をよむと、いつのまにか高崎高校が出ているかと探している自分がいる。母校での3年間の短い青春の源はいつまでも脈々とこころに息づいている。翠らんを誇らしく思う」と初参加の感想が述べられ、会場内から大きな拍手がまき起こりました。
続いて、52期・中島徳雄副会長による乾杯の発声がありました。発声に先立ち中島副会長は「安中は今、八重の桜で盛り上がっている。全国ネットで安中が紹介されることを期待する。また、阿部内閣で72期の下村博文氏が文科大臣に就任。同市は板橋で6回連続当選しており、教育分野では国会議員の5本の指に入る。先日2月23日にホワイトインで同氏のセミナーが開催され非常に教育行政に精通していることがわかった。非常に期待できるのでぜひ応援してほしい」と挨拶がありました。
全員で乾杯の唱和をしたあと、司会を77期・小川浩伸氏に代わり、同氏によりアトラクションの中国琵琶演奏者が披露されました。
演奏者は、中国青島市出身で西安音楽大学院卒の王偉華氏です。1986年に初来日後、日本全国でリサイタルを開催。現在は高崎に在住し、国内に留まらず米国ニューヨーク、豪州、シンガポール、香港、マレーシアなど世界各地で演奏活動を行っているとのことです。また、つい2日前に閉校した創造学園大学の特任助教授だったそうです。

中国琵琶の音は耳にしたことがあっても、実際の中国琵琶の演奏は初めて目にする参加者が多く、ご本の指に演奏用の爪を絆創膏で固定して、トレモロ奏法等を駆使して生み出される奥深い音色とメロディーは会場を魅了しました。

最初に中国琵琶楽器の紹介がてら、夜来香(イエ・ライ・シャン)が演奏されました。その後、中国琵琶について説明があり、もともとインド由来のこの楽器は、朝鮮半島を経て日本にも伝わりました。日本では古来の形をとどめているのに対して、中国琵琶は時代を経て、どんどん変化し、とくに1960年代に西洋音楽を取り入れて、半音を出すためのフレットの数がどんどん増えたのだそうです。
次に、中国の唐の時代の誌を、昔風の、京劇っぽいメロディーに乗せて弾き語る「ヤングァンサンティエ」という曲が披露されました。遠くに旅立つ友人を見送る際の気持ちを歌った詩だそうです。
最後は、日本の歌で「青葉の笛」が演奏されました。奏者によれば、わずか16小節の曲だが、平和の尊さを曲に込めていつも演奏することを心がけているのだとか。ある時は激しく、ある時は静かに、強弱とテンポにメリハリをつけた演奏に一同聞き入りました。

アトラクションのあとは、参加者の自己紹介やテーブルをあちこち移動して歓談が行われました。
2時間があっという間に過ぎて、87期の応援団長だった櫻井健一幹事のエールに合わせて応援歌と校歌を熱唱。記念写真を撮った後、60期・小板橋孝之副幹事長の音頭で万歳三唱を行い、同じく60期の小井土政世副幹事長による閉会の辞で、第3回碓氷安中翠巒翠は盛会のうちに幕を閉じました。
その後16名ほどが二次会に繰り出し、さらに親交を温め合いました。
■来年は2月頃開催される見通しですが、金田幹事長によると、「今回、第3回の碓氷安中翠巒会開催にあたり、碓氷安中地域に在住する卒業生に案内状を450通出したが、出席者は僅かに36名に留まった」形となりました。
そのため、次回はそれぞれの同期にもっと声をかけて、大勢の参加者を募りさらに賑やかに盛り上げられるよう、参加者にハッパがかけられました。
なお、今回も“高崎高校通信制を中退”と自称しておられる岡田義弘・安中市長は出席されませんでした。
【ひらく会情報部】