日々

穏やかな日々を

友と語ったこと

2010年12月12日 22時17分55秒 | 私自身や健康
朝から晩まで働いて
夜遅くまで外にいて
土日も働いて
働いて働いて
それでいいのか?って今日は考えてしまった。
仕事が趣味か?
趣味が仕事か?
仕事が好きか?
だからこんなに働けるんだろうか?

いやいや
子どもの時からの不安感
生活の安定が自分に来るのだろうか?という不安感
ただひたすら安定を求めて働いてきたような気がする。

戦後は確かにみんな貧乏だった。。。。。
かもしれない
でも、もうすでに20年代には貧富の差が出ていて
金持ちもいた。
いや戦争前から商売の成功者はいて
戦争の間持ち堪えて戦後ますます商売繁盛の状況はあったし
我が家は父親が海軍から帰り
戦前は九州で海の仕事をしていたけど、その会社はなく失業という状態で貧乏であったから
昭和23年生まれの弟の
母乳の出ない状況でヤギの乳を買いに行くのに四苦八苦していて
夫婦喧嘩も絶えなかったから、哀しい幼少時代であった。

母は町一番の親方のいる割烹旅館で女中さんをしていた。
父はその旅館からの流れの二次会のそば屋をしていた。
でもその繁盛も戦後せいぜい10年で
昭和30年代に入れば、勤めに出るようになったり、小さな食品店をやったり、
でも、長続きせず、貧乏は変わらなかった。

そんな幼少時代だから
働くことでの安心感が私に必要だったのか?

では、改めて私は何を目的に生きてきたのか?
なにがしたかったのか?
今の仕事は好きではないのか?
仕事は好きずきしているのではなく
何か違った思いがあるけれど
言葉では表せないなにかもっと大きいエネルギーに押されて働いてきたような気がする。

生活の維持
食物の獲得
動物的本能?

そんな難しことを
今日は友と語った
充実した時間だった。

友 
あなたのおかげです。
ありがとう。


友の作った人形です、関西の方のお店に出しています。
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テレビを友に迷想

2010年12月12日 17時29分44秒 | 私自身や健康
グレース公妃の記録映画からいただいた言葉
落胆することも人生の糧
大切なのはそれを悔やまず先に進むこと

婆もなんど落胆した事だろう、
でも、人生七転び八起き
だがしかし、転んでもただでは起きない精神で進んできた

今も坂の上の雲を見ている

この明治時代がいったいなんだったのか
よくイメージできる

この頃の日本は言葉では言い尽くせない大変な時期だったことだけはこの婆でも分かる

「だんだん」
は出雲弁かと思いきや
松山弁でもあるようです
松山ばかりではなく以下あるようです
鳥取県西伯郡、島根県、山口県大島、高知県幡多郡、福岡県博多、熊本県、大分県直入郡、宮崎県高千穂などである。

月並みの言葉だけれど
先祖たちに感謝、これが婆の信仰か?

1904年(明治37年)2月8日 - 1905年(明治38年)9月5日)は、大日本帝国とロシア帝国[4]との間で朝鮮半島と満洲南部を主戦場として発生した戦争である。

ロシア革命(ロシアかくめい;ロシア語:Русская революцияルースカヤ・リヴァリューツィヤ)とは、1917年にロシア帝国で起きた2度の革命のことを指す名称である。特に、史上最初の社会主義国家樹立につながった十月革命を指す場合もある。逆に、広義には1905年のロシア第一革命もロシア革命に含められる。

婆の高校生のころ世界史を選んで勉強をしたけれど
ロシアに勝ったことぐらいしか頭にない

さまざまの国のトップ軍団の思惑で開戦になるのか

ロシア皇帝の電報を遅らした事実が今分かる
10日後の電報を受け・・・・・・・・・・・ここのところを今やっている。

ロシアと日本の国民情勢
を事実の中から想像して
我が昭和時代、貧乏を思う。
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