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アルツハイマー病新薬承認

2023年09月26日 20時37分58秒 | 行政

アルツハイマー病新薬承認 厚労省、年内実用化へ レカネマブ軽度患者ら対象

 2023年9月26日 (火)配信共同通信社
 

 厚生労働省は25日、製薬大手エーザイと米バイオジェンが共同開発したアルツハイマー病新薬「レカネマブ(商品名レケンビ)」の製造販売を承認した。年内にも保険適用され実用化の見通し。病気の原因物質を除去することで進行抑制を狙った初の認知症薬となる。

 岸田文雄首相は記者団の取材に応じ「アルツハイマー病の原因物質に働きかける画期的な新薬で、認知症の治療は新たな時代を迎えた」と評価。27日に「認知症と向き合う幸齢社会実現会議」を立ち上げ「認知症施策の総合的な推進に向けて検討を深める」と述べた。

 対象は、アミロイドベータが脳内に蓄積した軽度認知症患者と、その前段階の軽度認知障害の人。国内に500万~600万人いるとみられるが、エーザイは実際に使用するのはこのうち1%程度と推計する。

 臨床試験(治験)では症状悪化を27%抑制し、進行を遅らせる効果が認められた。病状を戻したり、根治したりといったことは期待できない。脳のむくみや、出血などの副作用も報告された。

 25日公表されたレカネマブの添付文書では、検査などの体制が整備された医療機関でリスク管理ができる医師の下で使用するよう明記。副作用のリスクについて十分な情報提供をした上で患者や家族らの同意が必要とされた。投与開始前に脳のむくみや一定程度の微小出血がある人は使えない。

 エーザイの内藤晴夫(ないとう・はるお)最高経営責任者(CEO)は「この病気は、当事者らに大きな障害や負担をもたらすだけでなく、社会全体にも甚大な影響を及ぼす。治療を必要とする方に届けることに全力を尽くす」とのコメントを出した。

 レカネマブは患者の脳内に蓄積し神経細胞を傷つけるとみられるタンパク質「アミロイドベータ」に結合し除去する抗体の薬。2週間に1回、点滴で投与する。

 米国では7月6日に本承認された。標準的な価格は年2万6500ドル(約390万円)。日本でも今後薬価を決める手続きが行われるが、高額になると懸念されている。

 1月に申請され、審査期間を短縮する「優先審査」の対象となった。厚労省専門部会が8月21日、承認の方針を了承していた。

 ※レカネマブ

 エーザイなどが開発したアルツハイマー病治療薬。記憶障害などの症状が出る10~20年以上前から脳に蓄積し、神経細胞を傷つけるきっかけになると考えられているタンパク質「アミロイドベータ」に結合、これを目印に免疫細胞が除去する。従来の薬は残った神経の働きを助けるもので、一時的に改善した後は無治療と同じ速度で悪化する。これに対しレカネマブは悪化の速度を緩める働きを示した。既に失った神経は再生できないため、効果が見込めるのは早期の患者に限られる。

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世界アルツハイマーデー:あたたかい支援を

2023年09月26日 20時34分14秒 | 地域

世界アルツハイマーデー:あたたかい支援を 世界アルツハイマーデー 豊中でライトアップ /大阪

 2023年9月26日 (火)配信毎日新聞社
 
 認知症への理解を呼びかける「世界アルツハイマーデー」の21日に合わせ、豊中市の市立文化芸術センターの外壁が、認知症支援のシンボルカラーであるオレンジ色にライトアップされている。28日まで、日没から午後10時ごろまで点灯する。

 世界アルツハイマーデーは、国際アルツハイマー病協会と世界保健機関(WHO)が制定。この日を中心に認知症への理解や支援に関するイベントが各地で開かれている。

 20日には同センターで「豊中市老人介護者(家族)の会」の設立35周年記念イベントがあった。同会は介護保険の導入前から相談活動や介護者同士の交流会、関係機関との連携などを続けてきた。

 若年性認知症の当事者で、講演活動などを精力的に続ける丹野智文さん=仙台市=が講演。39歳で認知症を発症して10年の経験から「認知症は誰でもなり得る病気だが、人生は認知症になっても新しくつくることができる。当事者が失敗を恐れず自立する気持ちを持てるサポートをしてほしい」と訴えた。【宇城昇】

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健康危機予防へ国際協調を 厚労相が国連会合報告

2023年09月26日 20時27分41秒 | 行政

健康危機予防へ国際協調を 厚労相が国連会合報告

 2023年9月26日 (火)配信共同通信社
 

 武見敬三厚生労働相は26日の記者会見で、国連総会に合わせて今月、米国で開催されたハイレベル会合に出席した結果について報告した。全ての人が適切な医療を受けられる「ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ」に関し議論を深めたとした上で「将来の健康危機の予防や対応のための、国際的な協調の必要性を発信した」と述べた。

 現地でインドネシアの保健相らと会談したことや、創薬について医療関係者らと意見交換したことも明らかにした。

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被害意識が「人間失格」に 太宰入院巡る井伏書簡発見

2023年09月26日 20時24分40秒 | 

被害意識が「人間失格」に 太宰入院巡る井伏書簡発見

 2023年9月26日 (火)配信共同通信社
 
 作家の井伏鱒二(いぶせ・ますじ)が、「パビナール(鎮痛剤)中毒」で精神科病院に入院していた弟子の太宰治(だざい・おさむ)に強い被害者意識がある様子を、井伏の師だった佐藤春夫(さとう・はるお)に伝える書簡が26日までに見つかった。太宰は「だまされて入院させられた」などと訴えていたとし、専門家は「この時味わった屈辱感や被害者意識が不信感にさいなまれる主人公として文学的に表現され、代表作『人間失格』につながった」とみている。

 新たに見つかった書簡は井伏から佐藤に宛てた7点。実践女子大が進める佐藤の遺品整理中に見つかり、東京大の河野龍也(こうの・たつや)准教授が確認した。

 太宰は1935年4月の虫垂炎などの手術後、パビナールを多用して依存症になり、井伏が本人を説得し翌年10月に入院させた。同月23日に井伏が書いた手紙では、病院長に会った当時の太宰の妻、初代からの伝聞を基に「まだ苦痛がとれないで妄想的なことを口走っている」「私たちが太宰をだまして入院さしたと憤慨している」などとつづっている。

 当時、太宰は芥川賞受賞を3回逃した直後。入院前には、選考委員だった佐藤が芥川賞授賞を確約したような内容を小説で暴露し、佐藤を激怒させていた。河野准教授は「井伏が佐藤に病状を細かく報告していることから、2人が連携して太宰を回復させ作家として再起できるよう気遣っていた様子も分かる」と話している。

 今回見つかった書簡は30日に神奈川近代文学館(横浜市)で始まる「没後30年 井伏鱒二展」で公開される。

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ロボで歩行解析、病気未然防止へ 医療機器開発社と南相馬市連携

2023年09月26日 20時19分29秒 | 健康の保持増進

ロボで歩行解析、病気未然防止へ 医療機器開発社と南相馬市連携

 2023年9月26日 (火)配信福島民友新聞
 

 福祉機器や医療用機器の研究開発などを手がけるRDS(東京都)は10月から、南相馬市で歩行解析ロボットを活用した実証実験を始める。健康と密接に関係しているとされる歩行のデータを解析して健康課題を早期に発見し、病気に至る前に健康状態と向き合う「未病対策」につなげたい考え。同社と市は25日、連携協力に関する協定を結んだ。

 同社によると、糖尿病や認知症、転倒骨折などは健康寿命を縮める主な原因となっており、糖尿病や認知症の患者は小さい歩幅で足を上げずに歩く特徴があるという。

 実証では、国立障害者リハビリテーションセンター研究所との共同研究で開発したロボット「CORE―Ler(コアラー)」を活用。3Dカメラで歩行動作を測定し、得られたデータをサーバーで保存、解析する。健康診断や敬老会などで取得したデータと、さまざまな病気やけがを持つ患者の歩行データを比較して検証するほか、歩行データの蓄積もする予定だ。

 協定には、市が実証場所を確保したり、事業者との連携について調整したりすることなどを盛り込んだ。締結式では、杉原行里(あんり)社長と門馬和夫市長が協定書を取り交わした。杉原社長は今後、拠点事務所を同市に構える考えを示し、「データを市民に還元できる仕組みづくりを市と協力して考えていきたい」と語った。門馬市長は「高齢化が進む南相馬にとって期待の高い分野。RDSの取り組みが市民のためになれば」と話した。

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飯田典之さん:医道まい進、31年の生涯 中1でがん、闘病しながら夢到達

2023年09月26日 20時10分49秒 | ガン

飯田典之さん:医道まい進、31年の生涯 中1でがん、闘病しながら夢到達

 2023年9月26日 (火)配信毎日新聞社
 
 小児がんと闘う中で医師の道を志し、その夢をかなえた男性が今月、31年の生涯を閉じた。東京都文京区のがん・感染症センター都立駒込病院での研修を今春に終え、民間の診療所に勤めていた神戸市出身の飯田典之さん。再発と手術が続く過酷な運命を背負いながらも、自らの闘病経験を生かして患者に向き合った。

 ◇偲ぶ会で同期「太陽みたいな人だった」

 家族によると、飯田さんは幼少期から勉強が得意で、ラグビーやスキーなどスポーツも万能だった。体に異変が生じたのは中学1年の秋。39度台の熱が1週間ほど下がらず、大学病院の検査で腹部に2キロの巨大な腫瘍が見つかった。手術を受け、入院しながら約1年にわたる厳しい抗がん剤治療に耐えた。

 命も危ぶまれると告知された時、母美佳さん(61)は「訳が分からずショックだった」という。本人に不安が伝わらないよう努めて前を向いたが、同じ頃に妹紘子さん(29)はストレス性胃腸炎で入院。中学入学の時期が重なった紘子さんは、「一人でいろんなことをため込んでいた」と振り返る。家族もまた、必死に闘っていた。

 高校で飯田さんは兵庫県内有数の進学校に入学。体力が落ち、体育の授業や学校行事についていくのに苦労した。母親はくたくたになった息子の脚をマッサージしながら励ました。

 闘病生活の支えは、趣味のギターだった。ギタリストの押尾コータローさんの大ファンで、その技法にあこがれ、爪が擦り減るほど押尾さんの楽曲を練習した。

 2008年7月、高校1年だった飯田さんは毎日新聞社主催の小児がん征圧キャンペーン「生きる」のチャリティーコンサートを鑑賞した。押尾さんも出演しており、ステージの最後に両手の親指を突き上げて「頑張れよ」とサインを送ってくれた。

 コンサート時の取材に、飯田さんは小児科医になるという夢を明かした。家族には「(自分の)顔を見た患者さんがうれしくて、免疫力が上がるような医者になりたい」と話したという。

 鳥取大医学部に現役で合格。3年時に再び腹部に腫瘍が見つかり、小腸の一部を切除した。その後は再発と手術の連続だった。卒業後、駒込病院で医師の基礎を身に付ける初期研修(2年間)や、泌尿器科専門医になるため必要な研修(4年間)を受けた。

 飯田さんは同院で勤務しながら数回にわたり手術を受けたが、術後は1~2週間で復帰して医療現場に立ち続けた。腎泌尿器外科の古賀文隆部長は「社交的な愛されキャラで、職場のみんなに慕われた。チームの一員として有機的に機能してくれていた」と語る。

 古賀さんは、患者から「飯田先生も最近手術を受けたのに、もうあんなに元気になって」と言われたことがある。「自分の経験を医療にうまく生かしている。患者さんは安心するし、心強いですよ」。患者にも慕われながら医師として成長していった。

 治療にかかる費用面などを考慮し、飯田さんは研修後の勤め先に埼玉県内の民間クリニックを選んだ。しかし、腫瘍が肺に転移したことから、8月に駒込病院へ入院。生きることを最後まで諦めなかったが、病魔を押し返すことはできなかった。

 9月4日に自ら希望し、入院先から都内の自宅に戻った。5日夕、付き添っていた美佳さんが「あと1カ月は持つよね。頑張って」と声をかけると、飯田さんはソファに体をぐったりと預けたまま腕を伸ばし、Vサインに薬指を加えた3本指を立てた。息を引き取ったのは、ちょうど3日後の朝だった。

 25日夜、文京区内で家族主催の「偲(しの)ぶ会」が営まれ、医療関係者らが献花して遺影に手を合わせた。会場でBGMに流したのは、あこがれの押尾さんの楽曲だった。研修医時代に同期だった医師、菅澤駿一さん(33)は「大変だったと思うけれど、常に明るく、ネガティブなことは一切言わない。太陽みたいな人だった」と別れを惜しんだ。

 「生きることにこんなに苦労するなんて」。大学生の頃に飯田さんがこぼした言葉を、美佳さんは忘れない。「いつも前向きに、太く短い人生を全力で駆け抜けていった。私たちの誇りです。最後まで、よく頑張ったね」【千脇康平】

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