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新型コロナ対策、駆け込み決定 予備費、繰り越し常態化 6府省18事業は全額

2023年09月16日 22時31分22秒 | 行政

新型コロナ:コロナ対策、駆け込み決定 予備費、繰り越し常態化 6府省18事業は全額

 2023年9月16日 (土)配信毎日新聞
 

 会計検査院による2020~21年度の新型コロナウイルス対応予備費の検査で、各省庁へ配分され、使用が決定された予備費が翌年度に全額繰り越された事業が複数見つかった。事業の必要額算出で、年度内の残り日数ではなく、1年分の経費を見込んで要求していたケースもあった。財政法の「歳出予算は翌年度に使用できない」との規定を破り、会計年度独立の原則を無視するやり方がまかり通っている。【藤渕志保】

 会計検査院によると、予備費の使用決定をしながら、年度内に1円も使わず、全額を繰り越していたのは、直前の駆け込み以外も含めると、厚生労働省や経済産業省、内閣府など6府省の18事業に広がる。実質的に翌年度に回された予備費の合計額は両年度合わせ、3兆7310億円にのぼる。

 検査の結果、21年3月23日に駆け込みで予備費の使用が決まった事業4件(計1兆7600億円)のうち、予備費13億5000万円が割り当てられた内閣府の「地域女性活躍推進事業(つながりサポート型)」はコロナ禍で孤立したり経済的に困窮したりした女性を支援する事業。予備費は相談窓口となるNPOなどへ補助金として活用する見通しだったが、相談員の人件費を1年分と見積もるなど、積算根拠がずさんだったという。

 内閣府の担当者は「3月中旬の関係閣僚会議でコロナにより影響を受けた非正規労働者に対する緊急対策の方向性が決まり要望した。(財政法の)ルールは分かっているが、年度末が迫り、困っている人もいたなかで、繰り越しはやむを得なかった」と説明した。

 また、同じ23日に使用決定した厚生労働省の「コロナに対応した自殺防止対策」では、必要な予備費の積算根拠の一つである人件費を240日分で計算するなど、甘い見積もりをしていた。

 何らかの事情で年度内に執行できない場合は例外的に予備費を先送りすることは財政法でも認められている。予算を査定する財務省も「当時はコロナ禍でどんな予算がどれだけ必要かなどが手探り状態だった。関係者との調整に時間がかかり、年度内に執行できないことは予見しがたかったと聞いている」と話し、予備費の配分は例外的な措置にあたるとの見解を示した。

 ただ、白鴎大の藤井亮二教授(予算制度)は「(内閣府のケースは)3月中旬の会議が予備費の駆け込み支出決定につながったのではないか」と指摘。「省庁は繰り越しによって翌年度も自由に使えるお金を確保でき、財務省は巨額の予備費が必要だと査定した自身の判断の妥当性を示せる」と話し、いずれの省庁にもメリットがあることが背景にあるとした。

 ◇既存事業費合算、検証困難

 そもそも政府は、特定の政策実行を目的にした歳出を細かく積み上げて予算案をつくり、国会の審議を経て予算を繰り出すようになっている。憲法83条は「国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない」とし、財政民主主義を掲げている。

 予備費はその例外で、金額だけあらかじめ計上し、使い道は政府の閣議決定だけで決められる。当初予算の編成段階では予見しがたい災害や賠償金の支払いなどに備えるのがこれまでで、最近では年5000億円程度の予備費を用意し、備えることが多かった。

 ところがコロナ禍に見舞われて以降、先の一般の予備費に加え、20年度の1次補正予算で1・5兆円、2次補正で10兆円が「コロナ対策予備費」として、使途を一定の範囲に限った予備費として計上された。21、22年度も5兆円規模の予備費がコロナ対策とされた。そのなかで、予備費が翌年度に繰り越されたという事態が起こった。

 コロナ対策の予備費は、23年度も「原油高・物価高対策」(4兆円)、「ウクライナへの緊急対応」(1兆円)などの名目で、維持されている。

 予備費の問題はそれだけではない。予備費が割り振られた省庁が当初予算や補正予算など、既存の事業費と予備費を混ぜて管理するケースが多く、合算されると区別がつきにくい。それが財源別に予算を事後検証することを困難にしている。

 今回、会計検査院は、各省庁が実務用に作成した予備費の管理簿などに基づき、事業ごとの予備費の執行状況を突き止めたが、管理簿がなければ把握は難しかったとみられる。現在も巨額のコロナ対策予備費が全体としてどう使われたか、判然としていない。

 白鴎大の藤井教授は「会計検査院の調査でブラックボックスだった予備費の繰り越しの多さなどが可視化されたことは意義がある」と評価する。ただ今回は、10兆円規模のコロナ予備費の計上で、参院の決算委員会から調査要請があったことが大きいとし、「今後もここまで詳細な情報開示がなされるかは疑問だ。災害対応などを除く予備費は会計検査院の調査を義務づけるなどの仕組みづくりが必要だ」と提案した。

 一橋大の佐藤主光教授(財政学)は「予備費の計上はあくまで予見できないものに限る『例外』であり、物価高対策も本来は、当初や補正予算で対応すべきもの。コロナ禍のような非常時が長く続いた場合は予備費から通常の予算に振り替える取り組みが必要だ」と指摘している。

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新型コロナ 「病床確保できるか」「受診控えの恐れ」 変わらぬ感染力、医療関係者に危機感

2023年09月16日 22時17分54秒 | ウイルス

新型コロナ 「病床確保できるか」「受診控えの恐れ」 変わらぬ感染力、医療関係者に危機感

 2023年9月16日 (土)配信毎日新聞社
 
 
新型コロナ:新型コロナ 「病床確保できるか」「受診控えの恐れ」 変わらぬ感染力、医療関係者に危機感

 5月に新型コロナの感染症法上の位置づけが5類へ移行してから、医療機関はコロナ患者専用の病床数を減らしてきた。補助金が減額され、通常診療への影響などを考慮したためだ。

 東京医科歯科大病院(東京都文京区)はこの春から専用病床をなくし、各診療科で受け入れる態勢に切り替えた。植木穣(ゆたか)病院長補佐は「大学病院として、がんなどの患者に高度な医療を提供する必要がある」と話す。

 ただ、5類移行後も新型コロナウイルスがなくなったわけではない。現在の流行の主流となっているオミクロン株の派生型「EG・5」は感染力が強い。防護服などは今も欠かせず、隔離のために空き病床も生じるので、経営的な負担が出ている。

 「今後の感染の急拡大時にいかに病床を確保できるかが重要だ。だが、支援が縮小されれば、経営的に患者を受け入れられない病院も出てくるだろう」

 植木病院長補佐は指摘する。コロナへの警戒感を巡って、市民と医療機関の間でギャップが広がっているとも感じている。

 「一般の人の理解を得る難しさはあるが、国は医療機関への支援を来春以降も続けてほしい」

 一方、5類移行前は感染者を外来で受け入れていた医療機関が約4万2000カ所あった。政府はこれを、季節性インフルエンザの受け入れ態勢と同じ最大6万4000カ所に増やそうとしている。だが、5類移行から約4カ月がたった今月6日時点では約4万9000カ所にとどまっている。

 感染症に詳しい国際医療福祉大の松本哲哉教授は「冬にはインフルエンザとの同時流行が想定され、医療支援の縮小は、それを乗り越えてからすべきだったのではないか。今の段階ではまだ早く、感染拡大への備えが手薄になってしまう」と危機感を募らせる。

 日本感染症学会などは13日、治療薬を自己負担させると受診控えを招くとし、公費支援の継続を求めた。松本教授も懸念を示す。

 「重症化リスクがある人にはラゲブリオやパキロビッドなどの治療薬を早めに処方して、症状の悪化を防げれば、入院患者の減少が期待できる。だが、自己負担させることによって、この流れが機能しなくなるかもしれない」【寺町六花】

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「長崎の鐘」永井隆博士の「謎」だった長崎行き決意した理由…未発表原稿で回想

2023年09月16日 22時14分52秒 | 原子力

「長崎の鐘」永井隆博士の「謎」だった長崎行き決意した理由…未発表原稿で回想

 2023年9月15日 (金)配信読売新聞
 

 島根出身の被爆医師・永井隆博士(1908~51年)は戦前、なぜ長崎行きを決意したのか――。「長崎の鐘」など多くの著書を残した永井がいきさつを書いた未発表の原稿が見つかり、研究者の間でも謎とされてきた過去の一端が明らかになった。永井は、随筆などを通じて抱いた長崎へのあこがれや、佐賀で暮らした父親の影響を挙げており、「私の人生行路のきまった瞬間だった」と回想している。(坂口祐治)

 永井は、原爆で自らも大けがを負いながら、救護隊を率いて負傷者の治療に奔走。1949年1月に出版された「長崎の鐘」や、「この子を残して」など多くの著作を通じて被爆の実相や平和への思いを伝え、復興途上にあった長崎市民の精神的な支柱の一つとなった。ただ、永井が、なぜ縁もゆかりもない長崎に来たのかは分かっていなかった。

 自筆原稿は400字詰め原稿用紙で約50枚。永井が一時期、理科教師をしていた神学校関係者から、永井の孫で長崎市永井隆記念館の永井徳三郎館長(57)が預かっていた。精査の結果、これまで不明だった長崎に来た理由があるのを発見し、永井を顕彰するNPO法人「長崎 如己(にょこ)の会」会報誌の号外として一部を公開した。

 原稿は「大学へ進むに 当たって私は長崎を選んだ」で始まる。その理由として「雪国に育った者は南の国へ移りたがるものだが、そのころはキリシタンもの、南蛮もの、紅毛ものと呼ばれる、長崎についての随筆や研究がさかんで(中略)おのずから長崎をあこがれる気が 起こったのであろう」と分析していた。

 また、「肥前の国の美しさを父はたびたび私に語った」とも記され、一時佐賀で暮らしていた開業医の父・ 寛 さんの影響も挙げていた。永井は1928年、長崎医科大(現・長崎大医学部)に入学。卒業後は大学で放射線療法の研究に取り組んだ。その後、従軍先の中国で読んだカトリックの教義を記した本に感銘を受け、帰国後に改宗した。

 

 徳三郎館長は「運命を決定づけた長崎行きについて、飾らず、率直に語っているのが印象的だ」と話している。

 永井作品を研究している長崎外国語大の小西哲郎教授(56)(キリスト教学)は「永井は長崎に移住しなければ、カトリックに改宗することも、被爆することもなかった。そうであれば、今日の永井像はなかったはずで、運命の転機となった移住に言及した原稿が発見された意義は大きい」と指摘している。

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羽生結弦の妻は8歳年上の美人元バイオリニストだった、直撃に母は「いつかお話しできれば」

2023年09月16日 21時49分43秒 | 運動スポーツ

羽生結弦の妻は8歳年上の美人元バイオリニストだった、直撃に母は「いつかお話しできれば」

週刊女性PRIME [シュージョプライム] によるストーリー •15 時間
 
 
2023年8月4日に結婚したことを報告した羽生結弦
2023年8月4日に結婚したことを報告した羽生結弦© 週刊女性PRIME

 '23年最強の開運日ともいわれる8月4日、フィギュアスケーターの羽生結弦が突然、結婚を発表した。

「数字の“1”にこだわる羽生さんらしく、夜11時11分に自身のX(旧ツイッター)で報告文が投稿されました。ただ、その中で結婚について触れているのは、たった1行だけ。ほかはスケートについてと周囲への感謝を綴っているのみでした」(スポーツ紙記者、以下同)

国民的アイドルでも同級生でもなく

 ネット上では〈スケートと結婚した〉とまで言われたほど。あまりにベールに包まれた結婚発表に「お相手は誰か?」の“考察”も白熱した。

「国民的アイドルグループの元メンバーや、世界で活躍するピアニスト、'16年に熱愛を報じられて、羽生さんが交際を強く否定していた高校の同級生などが浮上しました。8月17日発売の『女性セブン』では“仙台の一般人”とも掲載されました」

 いったい“本命”は誰なのか……。

「かつて、インタビューで好きなタイプを聞かれた際には“基本はスケートをやっている人がいい”“性格はキツい感じの人”などと答えていました。これまで名前があがった人の中には、どちらにも当てはまっている人はいませんね(笑)」


昨年3月、仙台市にある高層マンションの最上階の隣り合った2部屋を、自らの名義で購入しているんです。それまで家族で暮らしていた自宅もまだ手放してはいませんが、生活の拠点は高層マンションに移しています」(スケート連盟関係者)

 ただ、同じマンションの住民に話を聞いてみたが、お相手はもちろん、羽生の暮らしぶりについても、知る者はいない。

 そんな中、週刊女性はお忍び新婚生活を支える新妻の正体を独占キャッチ! 羽生の心を射止めたのは、どんな女性なのか。

芸能事務所に所属しCDリリースも

「羽生さんより8歳上の美女で、元バイオリニストのA子さんです」(フィギュアスケート関係者、以下同)

 多くの音楽家を輩出している有名音大出身なのだそう。

「かつては芸能事務所にも所属し、音楽番組に出演したり、CDのリリースもしていました。幼いころからコンクールで活躍し、著名なアーティストとのコラボレーション経験も豊富です。フィギュアスケートをしてはいませんが、スケート界との関わりも深い方ですよ」

 これについて、羽生の個人事務所『team Sirius』に問い合わせたところ、

「プライバシーに関わるご質問であり、回答は控えさせていただきます」

 と、否定はしなかった。

 A子さんは、“羽生結弦”という世界的スターとの結婚を前に、夫を支えるべく大きな決断をしていたという。

「バイオリンを“恋人”とも話していたほどなのに、'22年11月以降、イベントやコンサートへの出演が一切なくなったんです。SNSのアカウントやホームページも、すべて削除されています。引退コンサートなども行わずに、ヒッソリと表舞台から姿を消しています」(前出・フィギュアスケート関係者)

 かつての所属事務所に、引退の理由や現在のA子さんについて聞いたが、

「退所した人のことですので、答える立場にありません」

 とのことだった。

 “恋人”を捨てる覚悟を決めて、羽生家の一員となったA子さん。9月中旬、その印象について聞こうと、仙台市内に暮らす羽生の祖父を訪ねた。しかし、返ってきたのは意外な反応だった。

「“結婚した”とだけは聞きました。でも、相手のことは名前も何も知らなくて……。忙しいみたいで、ゆづに会ってもいないんです」

 祖父にも秘密を守り抜く徹底ぶり。A子さんが生まれ育った地元にも足を運んだが……。

「コロナ禍に少し帰ってきているのは見かけたけれど、もともとあまりここにはいないようですよ。お父さんはもう亡くなっているので、実家ではA子ちゃんのお母さんがひとりで暮らしているのですが、“娘が結婚した”という話もまったく聞きませんね」(近隣住民)

 やはり、羽生との関係については誰にも知られていないようだ。

A子さんの母親を直撃

 9月中旬の夜、帰宅してきたA子さんの母親に話を聞くことができた。A子さんによく似た雰囲気の、気さくな女性だ。

――A子さんのご結婚、おめでとうございます!

 声をかけると、驚いた様子を見せながらも、丁寧に対応してくれた

――A子さん、結婚されましたよね?

「はい。結婚しましたよ」

――いいお相手でよかったですね。

「ありがとうございます」

 と、A子さんが結婚したことは認めてくれた。

 しかし、羽生については、

「詳しいことはよくわからないんですよ。ごめんなさい。いつかお話しできれば……」

 と、明言することはなかった。

 羽生家のトップシークレットとして守られているA子さんは、今年の春ごろに仙台での生活を始めている。

 前述のとおり、フィギュアスケートとの関わりも深く、

「口を開けばスケートのことばかり」(前出・フィギュアスケート関係者、以下同)

 だという羽生とも話が弾むことだろう。

A子さんも復興支援に参加していた

「A子さんは、あるアイスショーで見た日本のトップ選手の演技や表現力に魅了され、その影響を受けて、バイオリンの表現も進化していったそうです。以降、フィギュアスケートの大会のテーマソングの演奏を担当したり、国内外のトップ選手との共演も数多く経験。羽生さんが世界選手権で演じたこともあるプログラムを、ともに披露したこともありました」

 また、羽生との共通点も多い。

「羽生さんのスケート人生が始まったのは4歳だそうですが、A子ちゃんがバイオリンを始めたのも、同じく4歳なんです。幼少期から芸術にすべてを捧げてきたふたりですから、共鳴する部分も多いでしょうね」(A子さんの知人、以下同)

 芸術家としての一面にも、重なるものがあるという。

「A子ちゃんは、世界に通用する“唯一無二の存在”を夢見て、クラシックという枠にとどまらず、新たな道を切り開いてきました。羽生さんも、'22年7月のプロ転向後、前人未到の東京ドームでのアイスショーを実現させるなど、まさに唯一無二のスケーターです。バイオリンとスケートというそれぞれ別のものを極める中で、同じ場所を目指していたのです」

 そして何より、羽生の“使命”にも共感できる存在なのだそう。

「羽生さんが16歳のとき、『アイスリンク仙台』での練習中に東日本大震災が起きました。自身が被災した経験から、被災地のためになる活動を積極的に行っています。昨年3月11日には、震災当時に遺体安置所だった場所で、人々に希望を届けるべく、アイスショーを開催。被災地について考えていくことが、自身の使命だとも話していました」(前出・スケート連盟関係者)

 A子さんも、復興支援活動に積極的に参加していた。

「A子ちゃんは、10代のころにコンクールで仙台を訪れていました。このこともあり、震災の翌年に行われた復興支援イベントに参加したり、A子ちゃんの地元で行われたチャリティーコンサートにも出演しています」(前出・A子さんの知人、以下同)

 そこで演奏するのは、羽生にも強い思い入れのある一曲だ。

「羽生さんもエキシビションなどで演じている、東日本大震災復興支援ソング『花は咲く』を披露していたんです。その演奏に涙を流す人もいるほど、心のこもった渾身の一曲でした」

 こうした姿勢に、心を打たれたのだろう。

「羽生さんの思いは常に、地元・仙台とともにあります。それに寄り添えるA子さんは、ピッタリのお相手だといえるかもしれませんね」(前出・フィギュアスケート関係者、以下同)

 ただ、結婚したからといって、スケーターとしての羽生の姿勢は変わらない。

「これからも“羽生結弦”のスケートを極め、新たな世界を見せ続けてくれることでしょう」

 羽生は永遠に進化し続ける――。

    
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