<京都、白川の畔を歩く(2)>
平均台のような「一本橋」のすぐ下流、知恩院の「古門前橋」のところには「親水テラス」が設えてある。

知恩院の「古門」だが、その名の通り古く、桃山時代の建築である。
この親水テラスで、夏の夕暮れに、浴衣姿の女性が脚の先を浸して水遊びする・・・なんて、いかにも一幅の絵になりそうである。
それと、5月の中旬から6月上旬にかけてだが、一本橋付近では源氏ボタルが飛び交うという。運がよければ観られるだろう。

白川の流れに沿って、下流に進む。

祇園が近づくと、川沿いの風景も柳はなくなるが、少しずつ華やかな雰囲気になってくる。

辰巳神社への曲がり角の一本前で、ここからでも行けるだろうと右に曲がったのだが、神社方面の路がみつからない。戻るのも癪である。

(待てよ。ここの路地って一見「袋小路」にみえるが、「辻子(ずし)」になっているかも・・・)
試す価値あり、だ。
京都には、たとえば「先斗町通り」から西の「木屋町」までの間のように、いくつもの細い「抜け道」が点在しているところがけっこうある。袋小路になって通り抜けられない場合は「路地」、通り抜けできるものは「辻子(ずし)」という。
よっしゃ! 思った通り、祇園の「辰巳大明神(辰巳神社)」の脇に抜けられた。

京都御所より「辰巳(南東)」の方向にあることから「辰巳大明神」と呼ばれ、もともとは南東の方角を守る神社だった。

「祇園のお稲荷さん」とも呼ばれるが、なぜか御祭神は「狸(たぬき)」である。
これは、かつてこの界隈に住んでいた狸がイタズラをして人々を困らせていたため、狸を祀る祠を立てたところ治まった、という逸話によるそうである。
祇園白川のほとりにあることから祇園の人々からの信仰が厚く、とくに芸事の上達を願って手を合わせる芸妓さん舞妓さんの姿がよく見られる。
この神社のご利益は、ドンピシャで「商売繁盛」と「技芸上達」なのである。
― 続く ―
→「京都、白川の畔を歩く(1)」の記事はこちら
平均台のような「一本橋」のすぐ下流、知恩院の「古門前橋」のところには「親水テラス」が設えてある。

知恩院の「古門」だが、その名の通り古く、桃山時代の建築である。
この親水テラスで、夏の夕暮れに、浴衣姿の女性が脚の先を浸して水遊びする・・・なんて、いかにも一幅の絵になりそうである。
それと、5月の中旬から6月上旬にかけてだが、一本橋付近では源氏ボタルが飛び交うという。運がよければ観られるだろう。

白川の流れに沿って、下流に進む。

祇園が近づくと、川沿いの風景も柳はなくなるが、少しずつ華やかな雰囲気になってくる。

辰巳神社への曲がり角の一本前で、ここからでも行けるだろうと右に曲がったのだが、神社方面の路がみつからない。戻るのも癪である。

(待てよ。ここの路地って一見「袋小路」にみえるが、「辻子(ずし)」になっているかも・・・)
試す価値あり、だ。
京都には、たとえば「先斗町通り」から西の「木屋町」までの間のように、いくつもの細い「抜け道」が点在しているところがけっこうある。袋小路になって通り抜けられない場合は「路地」、通り抜けできるものは「辻子(ずし)」という。
よっしゃ! 思った通り、祇園の「辰巳大明神(辰巳神社)」の脇に抜けられた。

京都御所より「辰巳(南東)」の方向にあることから「辰巳大明神」と呼ばれ、もともとは南東の方角を守る神社だった。

「祇園のお稲荷さん」とも呼ばれるが、なぜか御祭神は「狸(たぬき)」である。
これは、かつてこの界隈に住んでいた狸がイタズラをして人々を困らせていたため、狸を祀る祠を立てたところ治まった、という逸話によるそうである。
祇園白川のほとりにあることから祇園の人々からの信仰が厚く、とくに芸事の上達を願って手を合わせる芸妓さん舞妓さんの姿がよく見られる。
この神社のご利益は、ドンピシャで「商売繁盛」と「技芸上達」なのである。
― 続く ―
→「京都、白川の畔を歩く(1)」の記事はこちら
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