<兼六園 石川・金沢>
わたしの金沢の印象は、とにかく駐停車にうるさい町だ。
初めて車で金沢に来たときには、銀行でお金を引き出すだけでもえらい苦労した
ことがある。とにかく駐車場をみつけたら、迷わず利用したほうがいい。
だから今回、兼六園からかなり離れた駐車場に止めて、真弓坂のところから兼六
園に入園したのだった。
兼六園は、林泉回遊式大庭園である。
前田家十二代藩主斉広(なりなが)が、奥州白河藩主・白河楽翁に庭園の命名を
依頼したところ、中国宋の時代の詩人・李格非の書いた洛陽名園記から、宏大・
幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の六勝を兼備するという意味で「兼六園」と命名
したといわれる。
瓢池(ひさごいけ)。
奥にみえるのが、十一代藩主である治脩(はるなが)が夕顔亭とともに築造した
翠滝(みどりたき)。
夕顔亭。
園内で最も古い建物で、安永3年(1774年)に建てられた茶室。茶席の次の間の
袖壁に夕顔(瓢箪)の透かしがあるので名づけられた。
途中の道脇だが、苔がきれいである。
霞ヶ池。
兼六園といえば、まずここの景色だろう。
遠くに見える建物は内橋亭だ。
逆方向からの霞ヶ池。
松の銘木もあちらこちらにある。
時雨亭。
五代藩主綱紀がはじめて作庭したころからあった建物を、再現したものだ。
抹茶でもいただこうかと思ったが待ち時間が長すぎてあきらめた。
→「山代温泉 石川・加賀」の記事はこちら
わたしの金沢の印象は、とにかく駐停車にうるさい町だ。
初めて車で金沢に来たときには、銀行でお金を引き出すだけでもえらい苦労した
ことがある。とにかく駐車場をみつけたら、迷わず利用したほうがいい。
だから今回、兼六園からかなり離れた駐車場に止めて、真弓坂のところから兼六
園に入園したのだった。
兼六園は、林泉回遊式大庭園である。
前田家十二代藩主斉広(なりなが)が、奥州白河藩主・白河楽翁に庭園の命名を
依頼したところ、中国宋の時代の詩人・李格非の書いた洛陽名園記から、宏大・
幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の六勝を兼備するという意味で「兼六園」と命名
したといわれる。
瓢池(ひさごいけ)。
奥にみえるのが、十一代藩主である治脩(はるなが)が夕顔亭とともに築造した
翠滝(みどりたき)。
夕顔亭。
園内で最も古い建物で、安永3年(1774年)に建てられた茶室。茶席の次の間の
袖壁に夕顔(瓢箪)の透かしがあるので名づけられた。
途中の道脇だが、苔がきれいである。
霞ヶ池。
兼六園といえば、まずここの景色だろう。
遠くに見える建物は内橋亭だ。
逆方向からの霞ヶ池。
松の銘木もあちらこちらにある。
時雨亭。
五代藩主綱紀がはじめて作庭したころからあった建物を、再現したものだ。
抹茶でもいただこうかと思ったが待ち時間が長すぎてあきらめた。
→「山代温泉 石川・加賀」の記事はこちら
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