温泉クンの旅日記

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岩室温泉(2)

2016-06-12 | 温泉エッセイ
  <泊まれる料亭(2)>

「高志の宿 高島屋」のすぐ前の道は北国街道である。





 佐渡の金を江戸へ運ぶ目的で「北国街道」は、中山道の追分宿から分かれ、上越の出雲崎に至って佐渡へと渡っていた。
 やがて新潟湊が発展すると新潟まで延長され、出雲崎から岩室や巻を通る街道も北国街道と称されるようになった。
 弥彦神社への参拝で数多の旅人が往来し、かつて松尾芭蕉や吉田松陰も歩いたといわれる。



「高志の宿」の「高志」とは「越」の国の古名にちなんだものである。



 ロビーのソファに座ると、
「ウェルカムドリンクですが、スワンレイクビールかオリジナルブレンドコーヒーになりますが、どちらにいたしましょうか」
 新潟で「スワンレイク(鶴の湖)」といえば瓢湖のことか。世界一の地ビールに選ばれたという。
「ビールがあまり好きではないのだけれど、じゃあ、ビールを」
 しまった、と思ったがもう遅い。悪い癖でつい言わないでいいことを言ってしまう。



 国上山(くがみやま)の五合庵に住んでいた良寛は托鉢で岩室にも足を運んだ。高島屋の本館は宝暦五年(1755年)の建物で、あの良寛もたびたび訪れて歌を読んだという。



 江戸時代、岩室の庄屋であった高島家にもたびたび滞在して歓談し、立ち去る際に歌を残していった。当時の当主高島常右衛門正貞は詩歌や俳諧を愛好し、酒禅(しゅぜん)と号していた。
 ある時良寛は儒学者亀田鵬斎(ほうさい)などの知人と一緒にこの酒禅を訪ね高島屋に泊まった。
 このときに良寛が残したのが次の狂歌だ。

  『岩室の酒禅君のもとにまかりけるに酒ばかりすすめらるるを
    さけさけと花にあるじをまかせられ
     今日もさけさけあすもさけさけ




 そして帰る際に扇に書き残された良寛の歌には、岩室の田中の「一つ松」に寄せた思いが込められている。
  『いはむろのたなかのまつをけさみれば
    しぐれのあめにぬれつつたてり



 
 明治十一年(1878年)、明治天皇が北陸ご巡幸時に高島屋に御小休されており、そのときの部屋「駐蹕(ちゅうひつ)の間」も当時のまま現存されている。







  ― 続く ―


   →「泊まれる料亭(1)」の記事はこちら
   →「旅の空」の記事はこちら
   →「白鳥」の記事はこちら

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