温泉クンの旅日記

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京都・伏見、醍醐寺「伽藍」(2)

2024-09-15 | 京都点描
  <京都・伏見、醍醐寺「伽藍」(2)>

 伽藍エリアに入ってからは徐々に、折り畳み傘を打つ雨の手ごたえが強くなってきている。
「もう、金堂と五重塔の拝観は果たしたし、このへんで戻っちゃおうか」との迷いも出るが、「雨が降っているときは虹を探そう。暗いときには星を探そう」というオスカー・ワイルドの言葉を思いだし、わたしも“虹もふくめた景観”を探して挫けず先に進むとしよう。

 

「不動堂の堂内には「不動明王」を中心に五体の明王が安置されている。堂前の「護摩道場」では、修験道の<柴燈護摩>が焚かれ、世界平和など様々な祈願を行っている。

 

「祖師堂」は、慶長10年(1605年)に座主「義演」により建立されたもので、「弘法大師・空海」と、その孫弟子で、醍醐寺を開創した「理源大師・聖宝」とが祀られている。

 

「日月門」は、下醍醐「大伝法院」堂宇群の一つで、1930年(昭和5年)、醍醐天皇一千年御忌を記念して実業家の「山口玄洞」より寄進された。

 

 金堂近くの鐘楼に続き、伽藍エリアで二つ目の「鐘楼」を左手に発見した。立派な鐘楼だが現役なのかはわからない。

 西国三十三所第十一番札所である「観音堂」。

 

 焼失したかつての「准胝堂(じゅんていどう)」に祀られていた准胝観音を安置している。
 この観音堂を中心に広がる、林泉、弁天堂、鐘楼、伝法学院などを総称して「大伝法院」と呼ぶ。諸堂は、「山口玄洞」の寄進により造築された。

 弁天池の向かいに建つ朱塗りの「弁天堂」。

 

 堂内には、音楽などの学芸や知識の女神である「弁才天」が祀られている。

 

 

 紅葉の季節には、朱塗りの堂が弁天池の水面に映える紅葉の名所となる。

(茶店みたいなのがあるはずだけど、やってるかな・・・)
 抹茶が飲みたい。なければコーヒーでもいいや。

 

 弁天池の畔にある「阿闍梨寮 寿庵」は、かつて高僧(=阿闍梨=あじゃり)の宿舎(寮)としていた建物を使用した、和食と和カフェと売店を兼ねた<お休み処>である。
 スマホで営業を調べると、営業時間は11時から16時、水曜定休とあった。
 定休の曜日ではないが、時計を見るとまだ10時前である。雨のなかで1時間・・・とても待てないなとあきらめた。

 日月門を抜け西大門に戻っていると、趣きのある横道をみつけ、寄り道していくことにした。

 

「真如三昧耶堂(しんにょさんまやどう)」。

 

 朱雀天皇により「法華三昧堂」として天暦3年(949年)に創建されたが、文明2年(1470年)に焼失し、現在の堂は平成9年(1997年)、真言宗系の在家仏教教団「真如苑」により「真如三昧耶堂」として建立されたそうだ。
 新興宗教のひとつ・・・かな。
 よし、伽藍エリアの平地部分はこれにてクリア(完了)だ。山上の伽藍と、三宝院の向かいの霊宝館エリアはパスして、ひとまず醍醐駅に戻ろう。

「先ほどは、ありがとうございました。ホント助かりました。お世話になりました」
 総門のところで、金堂で出逢ったオジサンが追いついて声をかけてきた。霊宝館エリアにでも寄っていたのだろうか。
「ああ、どうも。どういたしまして」

 右方向に、奈良街道をこちらに向かってくるバスが見えた。ローカル路線なので、1時間にいいとこ1本くらいだろう。往復は歩きたくない。逃したらヤバい。
「では、良い旅を!」と律義なオジサンに手をあげると、傘を折り畳み、バス停に向かって走り出した。
 バス停で遭遇に間に合うかどうかは微妙だが、形相変えて必死に走ってくるヤロウを無視することはないだろうと、さらにスパートをかけるのであった。


  →「京都・伏見、醍醐寺「伽藍」(1)」の記事はこちら



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