温泉クンの旅日記

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読んだ本 2022年3月と4月

2022-04-24 | 雑読録
  <読んだ本 2022年3月と4月>

 長い間あちこち旅をしていると、地震(青森・十和田湖)やら、火事(伊豆・下田)やら、交通事故(群馬・四万)だったりに出逢うこともある。
 でも、そのどれもを危機一髪という感じで無事にすり抜けてみると、なにやら強い女神に見守られている感がある。

 二月のある日、海ちゃんからクレームが入った。
<あの、さーあ>
「ン!」
<アタシの写真をスマホに使ってくれるのはいいンだけど、さ-あ>
「うむ・・・」
<目の前にアイコンがいっぱいで、邪魔でさ、アタシの“美貌”が台無しなンですけど!>

 

 やっぱり、そうきたか。「スマン、気にはなっていたンだけどね」
<この『御曼荼羅』みたいな見た目、なんとかしてチョーダイよ>
「あの仏教のありがたーい “おまんだら”・・・ですか」、相変わらずうまいこというわ。口では、こいつには絶対かなわん。

<そうよ、アタシがいつも見守ってあげてるからじゃないの。日本中走り廻って無事故でいるのはアンタの腕がいいからだけ? どんだけ、まったくもー。地震とか火事とかの災難をギリギリすり抜けられてるのは、いったい誰のお陰だと思ってるの!>
「わ、わかった、なんとかする」

 

 というわけで、悪戦苦闘。なんとか出たぞ、イリオモテヤマネコが。
「こんなんでご勘弁を」
<ふ、ふん、まあいいわ。じゃあ、お礼にこれからも道中の無事を加護してやっからさ>
 どうかお願いしますだ、おありがとうございます。(やれやれ!)

 ・・・なんと、わたしが宮城旅から帰った数日後、最大震度6強の地震が襲った。(セーフ! ああ、ありがたや) 
 となると、海が女神だったのか!

 さて、3月と4月に読んだ本ですが、二カ月で7冊、年間累計では12冊になります。

 1. ○葦の浮船              松本清張    角川文庫
 2. ○塩の街               有川浩     角川文庫
 3. ◎クジラの彼             有川浩      角川文庫
 4.○馬を売る女             松本清張   光文社文庫
 5.◎灯台からの響き           宮本輝     集英社
 6.○もうひとつの「流転の海」        宮本輝     新潮文庫
 7.◎鴨川食堂 ごちそう 8       柏木壽     小学館文庫

「クジラの彼」には、思わず電車のなかで笑いが止まらなくなりました。筒井康隆、つかこうへい以来、ひさしぶりに笑わせてもらいました。
 短編集なのですが、「クジラの彼」と次の「ロールアウト」のこの2篇が特に面白かったです。その面白い箇所をご紹介しようと思いましたが、下品と思われる方もいそうなのでやめておきます。
 でも、たまには小説で笑ってみたいと、興味がおありでしたらぜひお薦めします。

 宮本輝の「灯台からの響き」は、さすがに読み応えがありました。

 『わずか生後三日で死んだ子でさえも目には見えないなにかを残していく。その目には見えないものを
 どう感じて、どう信じていけるか。
  その子にとってはたったの三日間だが、それは一瞬のなかの永遠なのだ。
  仏典では、百千万億那由他阿僧祇劫という表現で無現の時間を示している。
  那由他は十の六十乗、阿僧祇は十の五十六乗。
  つまり百×千×万×億×那由他×阿僧祇×劫ということになる。天文学的どころではない。想像もできなければ、
 数字で表すことなど不可能な時間だ。
  劫は循環宇宙論では、ひとつの宇宙が誕生して消滅するまでの期間なのだが、宇宙は長遠な時間のうちに
 循環しているという説を否定するならば、百千万億那由他阿僧祇劫という時間は循環宇宙論をはるかに
 凌ぐのだ。
  いずれにしても、生まれて三日で死のうが、百歳で死のうが、そこに差はなくて、一瞬にすぎない。
 永遠のなかの一瞬なのではなく、一瞬のなかに永遠があると見れば、三日で死んだ子もなにかを残して
 生涯を終えたことになるのだ。』


「百千万億那由他阿僧祇劫(ひゃくせんまんのくなゆたあそうぎこう)」が無現の時間を示しているということに驚き、そしてわたしはいったいなにを残して生涯を終えるのだろうかと考えさせられました。

 片や「鴨川食堂 ごちそう」のほうは、あいかわらず気楽に楽しめました。
 
 今は亡き夫に吐いた嘘を後悔する淑子は、五十八年前に葉山で食べたピザを探してほしいと鴨川探偵事務所に依頼する。そのピザを食べたときに嘘を吐いたのだった。

 

 『「淑子はん」
 「なんでしょう」
  流の声に淑子が首を後ろに回した。
 「知らぬが仏、に続く言葉をご存じでっか?」
 「いえ」
 「知るが煩悩、て言うんやそうです」
  車椅子に座る淑子は身じろぎもせず、妙はじっと夏空を見上げていた。
 「今日もまた蒸し暑ぅなりそうどすな」
 「煩悩まみれの身には辛いですね」』

            第三話「ピザ」より

<知らぬが仏>に続きがあるとは知らなかった。

 吉次は余命宣告されたその日、今は亡き妻に美味しいうどん食べて元気だしなはれと言われ、焼うどんを出され激怒して皿ごと流しに放りこんだ。吉次の大好物はうどんだが、汁つきで、妻も知っているはずなのだ。
 奇跡的にガンが消える奇跡がおこり、なんであの日、妻が焼うどんを作ったのか知りたくて、鴨川探偵事務所に焼うどんを探してほしいと依頼する。

 

 『「(―略―)人生山あり谷あり、てよう言いますけど、山には山の、谷には谷の食いもんがある思うてます。
 山のテッペンに居るときは、なんぼでも旨いもん食うたらええ。けど、谷底に居るときは、ただただ食える
 っちゅうだけで感謝せなあかん。食えるっちゅうのは生きとる証拠でっさかい。山メシは美味、
 谷メシは滋味。わしはそう思うてます」』

           第四話「焼きうどん」より

 わたしは山メシ飛ばして、“滋味の谷メシ”でよしとする、だ。
 鴨川流は焼うどん発祥の地である北九州小倉に探索にいくのだが、わたしは北九州若松の「ネギ入お好み焼き」のほうが熱烈に食べたくてしょうがない。

おまけに、もうひとつ。宮本輝の短編集『もうひとつの「流転の海」』から。

 『「おてんとさまばっかり追いかけるなよ」
  何のことなのか理解出来ず、私は父を見た。七十年生きてきて、ようやく判ったのだと父はつづけた。
 自分は、日の当たっているところを見て、いつも慌ててそこへ移った。けれども、辿り着くと、
 そこには日は当たっていず、暗い影になっている。また焦って走る。行き着いて、やれやれと思ったら、
 たちまち影に包まれる。振り返ったら、さっきまで自分のいた場所に日が当たっている。
 しまったとあと戻りしても同じことだ。
 俺はそんなことばかり繰り返して、人生を失敗した。ひとところに場所を定めたら、断じて動くな。
 そうすれば、いつか自分の上に太陽が廻ってくる。おてんとうさまばっかりおいかけて
 右往左往するやつは必ず負ける・・・・・・』

                 宮本輝の短編集『

 なんとも深い・・・。


   →「読んだ本 2022年1月と2月」の記事はこちら


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