<京都、千本鳥居と百年食堂(2)>
「昨日は観光地でお高いランチセットを奮発しちゃったので、今日は軽くラーメンですませるか」
旅先では、こう思うことがままある。
たいして大それた望みでもないのに、京都ではこれを果たすのが案外難しい。
ラーメン屋はいっぱいあるのだが、ギトギト背脂チャッチャ系濃厚白濁スープの、コテコテな横浜家系似のラーメンがジツに多い。
今は昔の血気盛んなあのころならばともかく、今の今食べたい、昔ながらの中華そばみたいなヤツを「軽く」食べられる店が容易にみつからないのだ。
ところが、その大それた望みに叶う店をついにみつけた。老舗を名乗るには創業ン百年以上とかいわれる京都だが、明治三十七年(1904年)創業の、バリバリの百年食堂なら文句ないだろう。
「内拝殿」で列に並び、まずは参拝をすませた。
今日の午前中の、わたしのメインイベントは百年食堂である。
その営業が始まるのが11時半からなので、伏見稲荷は下見を兼ねた時間調整、祇園白川はオマケであった。とにかく千本鳥居はひと目でいいから観たい。
「『千本鳥居』ってどこにありますでしょうか?」
装束からどうみても神社関係者らしき人に尋ねた。
「『ゴンデン』という赤い建物の脇の階段を上がって右ですよ」
ははあ・・・權殿、ってこれか。あの階段の上の右側だな。
伏見稲荷の見どころといえば、朱塗りの鳥居がズラリと連なる「千本鳥居」である。
参拝者の願いごとが<通るように>、または<通った>というお礼をこめて、鳥居の奉納が江戸時代以降に広まったという。
鳥居の数だが、千本を遥かに超え、いまでは境内全域に約一万基が並ぶという。
くそっ、人並みがぜんぜん途切れないぞ。
振り返っても続々と押し寄せて来るのだ。無人の状態で鳥居だけの画像を撮りたかったが残された時間もないのであきらめるしかない。
鳥居を抜けた先にある奥社奉拝所の「おもかる石」までいきたかったが、次回に持ち越しだ。なんでも、願いごとを思いながら石灯籠の上にのる宝珠石を持ち上げ、予想より軽ければ願いが叶うそうである。
JR稲荷駅のほうの表参道から、京阪の伏見稲荷駅に大急ぎで戻った。
入ってきた出町柳行きの電車に飛び乗り、三条駅に向かう。
三条駅の駅舎を出てすぐのところに、京都の百年食堂である「篠田屋」があった。到着時間は11時半をすこしだけ過ぎていた。
行列なし、ヤッターとばかり店に入ると満席だった。
最初の一陣が全員着席したばかりのようだ。四人掛けを一人で占領している卓もかなりあるのだが、アクリル板が設置していないせいもあり相席はさせないのが京都流ルールである。卓の上に調味料も箸も一切置かないも、このご時世だからだろう。
入口外に立ち、ここは辛抱強く待つしかない。わたしの後ろに、続々と客が列をつくっていく。
外に掲げたメニューによると、人気があるのはどうやら二品みたいである。
皿盛 750円 ・・・ ごはんにカツをのせてカレーうどんのルーをかけた料理。
中華そば 550円 ・・・ 昔ながらの鶏ガラスープ。
最初に食べ終わった客と入れ替わりに店に入り、座るとまずお茶か水かと訊かれ、水と中華そばを注文した。客はざっとみたところ、中高年主体の常連客ばかりだ。静かすぎる店内で、画像をバシャバシャ撮れる雰囲気ではないようだ。
篠田屋を仕切っているのは、どうやらホール担当のおばさんのようだ。どっと押し寄せる客の注文を順番間違えずに覚えこまねばならないわけで、記憶力が良さそうである。津軽の百年食堂のご主人は、たしか四代目だったが、ここも同じくらいなのだろうか。
津軽にいったとき、弘前に十軒ほどある百年食堂の一軒の「三忠食堂」で名物の津軽蕎麦を食べたことがある。
津軽そばは主人が蕎麦を打ち、奥さんが出汁をひく。出汁に使う鰯の焼き干しは頭と内臓をとっているので、出汁に雑味が出ない。
蕎麦を茹でてすぐに食べず、一日冷まして、麺を一食分ずつ玉にして置き、さらに一晩から二晩寝かせ、いざ食べるときに再度さっと湯通しして、汁に入れて食べるのを「煮置き蕎麦」という。津軽蕎麦とは、この「煮置き蕎麦」のことを指す。
中華そばが運ばれてきた。まだ料理が未到着の人達の視線がわたしに矢のように刺さって痛い。
スープはあっさりした鶏ガラ系の醤油味だが、胡椒のパンチがすごく効いている。胡椒は基本厨房で入れることになっていて、どうやら「多めね」とか「かけないで」とか「少なめ」とかの自己申告制のようだ。
さすがは百年食堂らしい正統派中華そばの味で、コテコテラーメン好きな若造には決してわからん味なんだろうな。もしかしたら、超旨い屋台ラーメンの味といったほうが近いか。
待ち人多くて、いまさら追加注文なんかできる雰囲気じゃないけど、半カレーでも食べたかったなあ・・・。
そういえば弘前の百年食堂でも、津軽蕎麦だけでは足らずに中華そばを追加したっけな。なかなか味わいのあって美味しいラーメンで、麺の味がとても懐かしかった。
どうやら、百年食堂というところに来ると単品ではもの足りぬものらしい。
→「津軽そば」の記事はこちら
→「京都、千本鳥居と百年食堂(1)」の記事はこちら
「昨日は観光地でお高いランチセットを奮発しちゃったので、今日は軽くラーメンですませるか」
旅先では、こう思うことがままある。
たいして大それた望みでもないのに、京都ではこれを果たすのが案外難しい。
ラーメン屋はいっぱいあるのだが、ギトギト背脂チャッチャ系濃厚白濁スープの、コテコテな横浜家系似のラーメンがジツに多い。
今は昔の血気盛んなあのころならばともかく、今の今食べたい、昔ながらの中華そばみたいなヤツを「軽く」食べられる店が容易にみつからないのだ。
ところが、その大それた望みに叶う店をついにみつけた。老舗を名乗るには創業ン百年以上とかいわれる京都だが、明治三十七年(1904年)創業の、バリバリの百年食堂なら文句ないだろう。
「内拝殿」で列に並び、まずは参拝をすませた。
今日の午前中の、わたしのメインイベントは百年食堂である。
その営業が始まるのが11時半からなので、伏見稲荷は下見を兼ねた時間調整、祇園白川はオマケであった。とにかく千本鳥居はひと目でいいから観たい。
「『千本鳥居』ってどこにありますでしょうか?」
装束からどうみても神社関係者らしき人に尋ねた。
「『ゴンデン』という赤い建物の脇の階段を上がって右ですよ」
ははあ・・・權殿、ってこれか。あの階段の上の右側だな。
伏見稲荷の見どころといえば、朱塗りの鳥居がズラリと連なる「千本鳥居」である。
参拝者の願いごとが<通るように>、または<通った>というお礼をこめて、鳥居の奉納が江戸時代以降に広まったという。
鳥居の数だが、千本を遥かに超え、いまでは境内全域に約一万基が並ぶという。
くそっ、人並みがぜんぜん途切れないぞ。
振り返っても続々と押し寄せて来るのだ。無人の状態で鳥居だけの画像を撮りたかったが残された時間もないのであきらめるしかない。
鳥居を抜けた先にある奥社奉拝所の「おもかる石」までいきたかったが、次回に持ち越しだ。なんでも、願いごとを思いながら石灯籠の上にのる宝珠石を持ち上げ、予想より軽ければ願いが叶うそうである。
JR稲荷駅のほうの表参道から、京阪の伏見稲荷駅に大急ぎで戻った。
入ってきた出町柳行きの電車に飛び乗り、三条駅に向かう。
三条駅の駅舎を出てすぐのところに、京都の百年食堂である「篠田屋」があった。到着時間は11時半をすこしだけ過ぎていた。
行列なし、ヤッターとばかり店に入ると満席だった。
最初の一陣が全員着席したばかりのようだ。四人掛けを一人で占領している卓もかなりあるのだが、アクリル板が設置していないせいもあり相席はさせないのが京都流ルールである。卓の上に調味料も箸も一切置かないも、このご時世だからだろう。
入口外に立ち、ここは辛抱強く待つしかない。わたしの後ろに、続々と客が列をつくっていく。
外に掲げたメニューによると、人気があるのはどうやら二品みたいである。
皿盛 750円 ・・・ ごはんにカツをのせてカレーうどんのルーをかけた料理。
中華そば 550円 ・・・ 昔ながらの鶏ガラスープ。
最初に食べ終わった客と入れ替わりに店に入り、座るとまずお茶か水かと訊かれ、水と中華そばを注文した。客はざっとみたところ、中高年主体の常連客ばかりだ。静かすぎる店内で、画像をバシャバシャ撮れる雰囲気ではないようだ。
篠田屋を仕切っているのは、どうやらホール担当のおばさんのようだ。どっと押し寄せる客の注文を順番間違えずに覚えこまねばならないわけで、記憶力が良さそうである。津軽の百年食堂のご主人は、たしか四代目だったが、ここも同じくらいなのだろうか。
津軽にいったとき、弘前に十軒ほどある百年食堂の一軒の「三忠食堂」で名物の津軽蕎麦を食べたことがある。
津軽そばは主人が蕎麦を打ち、奥さんが出汁をひく。出汁に使う鰯の焼き干しは頭と内臓をとっているので、出汁に雑味が出ない。
蕎麦を茹でてすぐに食べず、一日冷まして、麺を一食分ずつ玉にして置き、さらに一晩から二晩寝かせ、いざ食べるときに再度さっと湯通しして、汁に入れて食べるのを「煮置き蕎麦」という。津軽蕎麦とは、この「煮置き蕎麦」のことを指す。
中華そばが運ばれてきた。まだ料理が未到着の人達の視線がわたしに矢のように刺さって痛い。
スープはあっさりした鶏ガラ系の醤油味だが、胡椒のパンチがすごく効いている。胡椒は基本厨房で入れることになっていて、どうやら「多めね」とか「かけないで」とか「少なめ」とかの自己申告制のようだ。
さすがは百年食堂らしい正統派中華そばの味で、コテコテラーメン好きな若造には決してわからん味なんだろうな。もしかしたら、超旨い屋台ラーメンの味といったほうが近いか。
待ち人多くて、いまさら追加注文なんかできる雰囲気じゃないけど、半カレーでも食べたかったなあ・・・。
そういえば弘前の百年食堂でも、津軽蕎麦だけでは足らずに中華そばを追加したっけな。なかなか味わいのあって美味しいラーメンで、麺の味がとても懐かしかった。
どうやら、百年食堂というところに来ると単品ではもの足りぬものらしい。
→「津軽そば」の記事はこちら
→「京都、千本鳥居と百年食堂(1)」の記事はこちら
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