3・11 私達にとって忘れもしない日。
あれから13年・・・
午後2時46分に家族で黙祷。
あの日、家が壊れるかと思うほどの大きな揺れ。
家の中にいるのが怖くて遊びに来ていた娘のワンボックスカーに毛布を持ち込んで避難。
カーナビの画面で見た仙台空港に押し寄せる津波。
大きな揺れだけだと思っていたら想像もしない津波が押し寄せていた。
停電で真っ暗な夜空に大きな星が輝いていた。
3歳になったばかりの孫を抱いて空を見た。
「お星さまがいっぱい!」と孫。
夜はみんな同じ部屋で寝た。
「荒浜の海岸に200~300名の遺体が・・・」
衝撃的なニュースがラジオから聞こえて震えた。
後日には福島の原発の事故で放射能漏れという恐ろしい現実。
ただの地震だと思っていたら大災害だった。
本当に色々あった。
生活は不便を強いられ、それでも工夫して生活した。
津波被害の沿岸部に比べたら内陸部の私達なんて被害とは言えないと思った。
当時は人の優しさを痛感する毎日だった。
みんながやさしかった。
今度は能登半島の地震。
あの時、助けられた私達は今度は助ける番。
と、言っても私ができることは募金しかない。
能登の方々も早く元の生活が取り戻せる様に願うばかり。
行政にしっかりしてもらいたい。
あれから13年・・・
午後2時46分に家族で黙祷。
あの日、家が壊れるかと思うほどの大きな揺れ。
家の中にいるのが怖くて遊びに来ていた娘のワンボックスカーに毛布を持ち込んで避難。
カーナビの画面で見た仙台空港に押し寄せる津波。
大きな揺れだけだと思っていたら想像もしない津波が押し寄せていた。
停電で真っ暗な夜空に大きな星が輝いていた。
3歳になったばかりの孫を抱いて空を見た。
「お星さまがいっぱい!」と孫。
夜はみんな同じ部屋で寝た。
「荒浜の海岸に200~300名の遺体が・・・」
衝撃的なニュースがラジオから聞こえて震えた。
後日には福島の原発の事故で放射能漏れという恐ろしい現実。
ただの地震だと思っていたら大災害だった。
本当に色々あった。
生活は不便を強いられ、それでも工夫して生活した。
津波被害の沿岸部に比べたら内陸部の私達なんて被害とは言えないと思った。
当時は人の優しさを痛感する毎日だった。
みんながやさしかった。
今度は能登半島の地震。
あの時、助けられた私達は今度は助ける番。
と、言っても私ができることは募金しかない。
能登の方々も早く元の生活が取り戻せる様に願うばかり。
行政にしっかりしてもらいたい。
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