土曜の夜の風は凄かった。朝 目覚めたら倉庫ごと山のてっぺんに
移動しているかも・・・と思うくらいの勢いだったが、幸い何事もなかった。
この強風は何をどこに運んだのか。何をどこから連れて来たのか・・・・
工場の煙突から出るCO2も、中国の黄砂も、放射能も、まぜまぜされて中和か・・・
禅語 『落花流水太茫々-らっかりゅうすいただぼうぼう-』
「茫々」は、果てしなく流れていく様。花が散り落ちて、それが川に流されていく光景。
転じて、無心に、流れに逆らわず、身を任せて生きよ、との寓意。
禅語の世界には、「止まる」ことと「動く」ことの不思議を見つめる眼が常にある。
物事が移り変わり、動き、流れていく。 その流れが、いつも変らずにそこにある。
変化し続けるという動きが、永遠に変化しないかのようにそこにあるのだ。
日頃の私たちは、それを逆にとらえていることが多い、という気がする。
変化し続けることを嫌い、永遠に続いている流れのほうには気がついていない。
・・・・・・・中略・・・・・・・
健康、愛情、お金、若さなど、私たちは何かが刻々と失われていることに心を痛め続けて生きる。
失恋すれば復縁を願い、アンチエイジングと称して様々な薬を使い、人よりも得をしたいと計算し続ける。
そうした、何かを失わずにいたい、取り戻したい、と思う心の切迫した苦痛には、終わりがない。
なぜなら、どんなに努力しても、失われたものを取り戻すことはほとんど、不可能だからだ。
でも、目の前のことが失われるということは、もう一方の「繰り返される永遠」を保つことに繋がるのだろう。
何かを失わずにいたいと思う苦痛から自由になることは至難の業だが、もしそれができたら、
落花流水の美しさを自分のものにできる。 真に美しい人の中に、そのような流れを感じることがある。
石井ゆかり 「禅語」zengo pie books より抜粋
移動しているかも・・・と思うくらいの勢いだったが、幸い何事もなかった。
この強風は何をどこに運んだのか。何をどこから連れて来たのか・・・・
工場の煙突から出るCO2も、中国の黄砂も、放射能も、まぜまぜされて中和か・・・
禅語 『落花流水太茫々-らっかりゅうすいただぼうぼう-』
「茫々」は、果てしなく流れていく様。花が散り落ちて、それが川に流されていく光景。
転じて、無心に、流れに逆らわず、身を任せて生きよ、との寓意。
禅語の世界には、「止まる」ことと「動く」ことの不思議を見つめる眼が常にある。
物事が移り変わり、動き、流れていく。 その流れが、いつも変らずにそこにある。
変化し続けるという動きが、永遠に変化しないかのようにそこにあるのだ。
日頃の私たちは、それを逆にとらえていることが多い、という気がする。
変化し続けることを嫌い、永遠に続いている流れのほうには気がついていない。
・・・・・・・中略・・・・・・・
健康、愛情、お金、若さなど、私たちは何かが刻々と失われていることに心を痛め続けて生きる。
失恋すれば復縁を願い、アンチエイジングと称して様々な薬を使い、人よりも得をしたいと計算し続ける。
そうした、何かを失わずにいたい、取り戻したい、と思う心の切迫した苦痛には、終わりがない。
なぜなら、どんなに努力しても、失われたものを取り戻すことはほとんど、不可能だからだ。
でも、目の前のことが失われるということは、もう一方の「繰り返される永遠」を保つことに繋がるのだろう。
何かを失わずにいたいと思う苦痛から自由になることは至難の業だが、もしそれができたら、
落花流水の美しさを自分のものにできる。 真に美しい人の中に、そのような流れを感じることがある。
石井ゆかり 「禅語」zengo pie books より抜粋
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