横浜田舎物語

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検診結果は・・

2010-04-14 | 変形性股関節症
さずがのさくらえびも寄る年波には勝てず、疲れは一晩寝たくらいでは
取れません

さて、今年も定期検診のため大阪の『関西医大附属枚方病院』に行ってきました

昨日の桜映像の続きをと思ったのですが、検診結果を心配してくれている人が
一人、二人、いや多分、多数いますので報告が先かと思いまして

7年前の夏、右股関節の手術をし2ヶ月の入院生活を送った大阪に
こうして毎年、定期検診に訪れるのですが、
いつのまにか手術をした真夏ではなく、1年中で一番いい季節のこの時期に
旅行を兼ねて行くことになってます。

大病院はどこもそうですが、予約を入れても時間通りに進むことはありません。

待たされることが当たり前と思えばどうってことはないし、それに今は
呼び出しの端末を持たせてくれるので、ずっと同じ場所で待たなくても
心配はありません。

しかし、これもお年寄りになると

さっきからお隣の、お隣のおばあちゃまの端末がもう10回以上「ピーピーピー」と
繰り返し鳴っています。

<教えてあげようかな・・でも・・>その間もずっと「ピーピーピー

周りの人も気になりだして、ようやくすぐ隣のやはりおばあちゃまが「さっきからなってはるよ、奥さんのとちゃうか

「あ~そっか

こんな調子ですから、ひろ~い待合室中、あっちで「ピーピー」こっちで「ピーピー

まあそれは賑やかなこと

おっと、そういう私も・・

まずレントゲン室に行きます。

そして、しばらくすると診察室前待機です。

診察室の前には<○○番の方お入りください>とメッセージが出ます。

ですから、レントゲン室で名前の確認はされるものの、大声で呼ばれることはありません。
これも時代の流れなのでしょうが、慣れないお年寄りには病気以外の不安を与えてしまわないかと
そちらも心配です。

さて、今回の結果ですが、一応◎
去年は限りなく灰色に近いと言われていたからその場で飛び上がりたくなるほど嬉しかった

今年も悪化しているようなら自転車のことは話さないでおこうと決めてました。

でも先生から術足が以前よりなじんできた(腰の骨を切り取って股関節の屋根にひさしのように付けたため)とか

左も軟骨が減ってはいるけど、年齢的にこの病気を持っていなくてもこの程度には
なるからそれほど心配しなくてもいいよ、とか

「この1年で変わったことはありましたか?」

変わったことって・・・

相変わらず自転車に乗っていること、去年は100km超えを3度もやったこと
夏にはロードバイクを買ってしまったこと
でも、プールでは筋トレに励んでいること

全部話しました。

「100km? すごいねえ~ 走り終わった後はどう?」
先生はやはりそこが気になるようでした。

もちろん、いままでこれだけ乗ってきても、一度として痛いと感じたことはありません。

かえって、もっと短い距離でも歩いたり、重たいものを持った時の方が痛みが出てきます。
それは当たり前ですが、股関節への負荷が大きいからです。

「やっぱり、この病気には自転車と水泳がいいというのは事実なんだね」
先生、今さらですが私の症状からそう思ってくださったのでしょうか。

「でも先生、私下半身に比べて上半身の方が重たいので体重管理しなくちゃいけないんですよね
と、言われる前にいかにもしおらしくつぶやきましたら

「べつにいいんじゃないの、今のままだってこういう結果が出てるんだから

内科に行っても、よその病院に行っても、もちろん夫からも二言目には
「体重落しなさい、太ってていいことなんて一つもないよ」と言われる私にとって

尊敬する関西医大整形外科部長、飯田教授の言葉は値千金

診察室から出て、会計をするころ来てくれた入院お仲間のTさんに早速その話をして
病院の最上階にあるレストランで、いつもは我慢している超高カロリーの

”オムライスのデミグラスソースかけ”オーダーしてしまいました

一応<明日からね、気をつけましょ>と確認しあって

今年もTさんが来てくれました。

Tさんは入院中、隣のベットにいた方ですが、4人部屋で一番年が近いことや
その人柄にずいぶん癒されて、遠い横浜から一人入院している私にとって
ありのままを見せられる唯一の人でした。

彼女の入院は3週間でしたから、私の2カ月に比べたら短い期間でしたが

入院したことのある方ならお分かりでしょうが、
実に狭い世界の中で過ごさなければならない日々は
それでなくても病気で滅入っているところに追い打ちをかけるように
ストレスが積み重ねられます

そんなとき、気の置けない隣人がいるといないとではその回復力に大きな影響を与えることは間違いありません。

長い人生のたった3週間のふれあいでしたが、今もこうして会いたいと思うのは
たまたま隣り合ったのは偶然ではなく、なにかのご縁があったのだと
勝手に思い込んでいるのですが

お互いの家族の近況や、最近の話題等、話しているうちに帰りの時刻が迫ってきてしまいました。

「来年も、よかったらまた出てきてくださいね」という私に

「もちろん、私たちって七夕みたいやねえ」とほほ笑むTさん

症状はちがうにせよ、同じ病気を持った私たち、これからも末長くお付き合いくださいね


半年後の秋には去年、飯田先生から紹介状を書いていただいて診察を受けた
こちらの病院にも行く予定です。

こちらのY先生も若いながら信頼のおける医師だと思っています。

飯田先生のパソコンにはY先生からのメッセージが届いていました。

お医者様同士のルールのことはわかりませんが、私としてはY先生のお心遣いが
とても嬉しかった。

病院のリンク貼りましたが、ここ枚方病院は2007年に建築されたばかりの超近代設備病院

ですから入院していたのは当然ここではなく、同じ沿線にある同大学の”付属滝井病院”でした。

こことは天地雲泥の差で、それはひどい環境の病院でした。

それでも、執刀医である飯田先生、担当医栂野先生、私と同い年の看護師長、3交代でめんどうみてくれた明るい看護師さんたち、
そして、リハビリ科の先生方、そしてそしてお隣のTさんはじめ仲良くなった患者の皆さん

たくさんの人たちに恵まれて、家族や友人たちと遠く離れても、なんとか入院生活を
送ることができました。

もう2度と遠くの病院に入院するものかと思ったけど、この環境で飯田先生さえいてくだされば
いいかな、なんてことも思ったりします。

屋上庭園なんかあるし、展望レストランもあるし、なんたってエレベーターで会った患者さんが着ていた
入院用のパジャマ、ピンクでとても可愛かった
でも若いお嬢さんだったから・・

「可愛いですねえ  それって私みたいなおばさんやもっと年配の方も同じの着ているの?」
って聞いたらその通りですって

わっ  やっぱり無理だわ  想像しただけで



コメント (19)
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