横浜田舎物語

サザン、サッカー、ロードバイク
エイジレスばあばのパワフルな日々
をお届けします

父の命日

2010-04-06 | ひとりごと
今日は亡き父の命日でした。

こんな日に墓参りもせずに、1日中、散り行く桜を追っかけていましたが

お墓は静岡ですし、父にお詫びの意味で書こうと思い立ちました。

昭和27年の今日、46歳という若さで突然他界してしまった父

6人兄弟(4男2女)の末っ子の私はわずか3歳でした。

ですから父との思い出も何も、まったく記憶にありませんし
その人生や人となりは母や、姉に聞いたことしかわかりません。

お葬式の時、人がたくさん集まるのがうれしくて、横たわっている父に
「お父ちゃん、起きて、みんなが来ているよ」と父を揺り起そうとする私が
参列者の皆さんの涙を誘った、と後に母から聞かされました。

春の選抜高校野球は沖縄の興南高校の優勝で幕を閉じましたが
父が亡くなった年は、というよりその前日、母校静岡商業がなんと優勝したのです。

当時在校生だった長兄は高2から高3になる春休み、

父は母校の優勝を喜びながら亡くなったと聞きました。

母はその後苦労して子供を育て上げ(もちろん祖母や成人近かった姉の助けもあり)
父の倍以上93歳まで生きたわけですが、私には愚痴の方が多かったような気がします。

しかし、長女である姉は父のことが大好きだったと、静かで浮世離れしたそれはカッコいい人だったと

立場が違うとこれほどまでに一人の人間の評価が違うものかと、自分が大人になって
ようやく、私なりの父親像というものが確立されたような気がします。

今から9年前、父の50回忌法要を行いましたが、世間では
”親の50回忌をやる子供は不幸だ”と言われているそうです。

<そっか 私達って不幸な子なんだ>と、兄たちと苦笑したことを覚えています。

確かに片親と言うハンデはあったかもしれません。
しかし、大家族で商売もやってますし、父がいたらどうだろうと考えたことは
ないです。
というより、父親の存在自体がどのようなものなのかわからないからかもしれません。

そういう意味ではやはり不幸だったのかな、とも思いますが、
その分、母は世間から片親だと後ろ指さされるようなことがあってはならないと
必死で育ててくれたのだと思います。

来年は60年であり、母の7回忌でもあります。

「子に先立たれる親ほど不幸はない」母が生前、口癖のように言っていた言葉ですが
いろいろいうところはあるものの、なんとか全員生きております。

一番上の姉は、先月77歳の喜寿を迎えました。
実家の長兄は75歳、後期高齢者となりました。

末っ子の私でさえ、年金を受け取る年齢に達しているのです。

先日、すぐ上の兄に、「兄弟も年とって、明日どうなるかわからないのだから
たまにはみんなで会いましょうよ」というメールを送りましたら
同意の返事がきました。

まだ具体的にはなっていないけど、この兄と私が何とかしなければ
お年寄りたちは動けないでしょうから、などと考えています。

兄弟で飲んで話して、まだ私の知らない両親の話を聞きだしたいとも思っています。

「お父ちゃん、今度静岡に行ったらお墓参りするからね、今日はごめんなさい」




コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする