横浜田舎物語

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過去の賑わいは今

2012-10-17 | 静岡関連
静岡の実家の周辺は、何度も書きますが、映画館が立ち並び、飲食店が数多い繁華街でした。

でした・・・過去形なんです。

昔はまさに市の中心でしたから、明治生まれの母は昭和の初め「町に嫁ぐ」と言って嫁に来たとか

それがこの10年?いや20年くらいのうちに、中心がJR静岡駅から徒歩5分くらいの
母の実家周辺に変わってしまい、若者が好みそうなおしゃれな街並みもできたりしてたいへん賑わっています。

反面、昔の賑わいはいずこに
実家の周辺は、バブル時代の地上げによる転売もあったりして
ところどころ歯抜け状態

繁盛していた飲食店も閉店を余儀なくされ、そんな時に合わせたかのように
実家の店も幕を閉じました。

時代の流れに竿をさすことはできず、

そんな中、私鉄の静岡鉄道(しずてつ)の静岡側発着駅がある”新静岡センター”が
解体されリニューアルし『新静岡セノバ』という駅ビル型複合商業ビルに変身しました。


  


横浜あたりではめずらしくもない、ファッションとグルメと映画館の総合施設が出来あがりました。

そのあおりを受けたかどうかは定かではないけど、実家近くに数軒あった映画館はすべて閉鎖
この半年余りの間に、その建物も取り壊され、今はすべて空き地になってしまいました。

それぞれ特徴のある映画館でしたが、中でも松竹系の邦画を上映していた映画館はこの壁画が有名でした。

    

    
    


一面のモザイクタイル壁画は芸術的でもあり、長い間市民に愛されてきました。

この建物が壊されると聞いた時、壁画のことが気になりました。

そんな時、壁画の1部を切りとって保存してあるらしいという情報を耳にしました。

早速見に行ってみました。

     


     


昭和32年ということは、私が小学3年生のころ、通学路でしたから、毎日仰ぎながら前を通っていたのです。

映画館があるからかろうじて人が集まっていたこの辺りも、今では飲食店も閑古鳥が鳴いているようです。

寂しい限りですが、これも時代の流れ、しかたがないことなのですね
コメント (16)
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