ジョギングはシャンパンの味

ジョギング、写真、革クラフト、木工、パンつくり、日本の古代史などを趣味にして楽しんでいます。

管理職研究者について

2014年08月14日 05時51分55秒 | エッセイ

・・・理研の笹井氏の自殺報道が流れて世間をにぎわしてから、時間も過ぎ、少し静かになった。
  同じ理研の小保方氏の再生細胞の件で管理責任を問われたことに対しての彼の考え方の結果かと思われる。

  私が云いたいのは、この報道についてではなく、「日本での管理研究者の在り方」についてである。
  私の場合は理研とは社会的評価レベルが大違いではあるが、昔、民間会社の単なる研究者から、管理職研究者へ変わったことがあったので、この問題についてはとても他人事とは思えない問題点を感じる。

  日本では研究者がある年代になると、給与のレベルアップや社会的な評価を与えるために、研究しかやったことが無い人が、急に管理者に昇格する。  その時点で、労務管理や管理技術の何の訓練も受けていない人間が、管理者としての業務をこなさなくてはならなくなる。
  通常の工場部門や事務・営業部門では入社時から、日頃の業務中で管理者予備軍としての訓練を受けて育つ、研究部門では仕事が固有技術によることがほとんどなので、個人プレーで業務を優先して、一般には管理を意識しないまま、年を経る。  また、研究者として優秀な人ほど、ひらめきで、仕事をすることがあり、その資質は管理業務に必要な資質と相いれない。
  その結果、研究的な考え方と業務や労務の管理者としての考え方は大きく異なる事を、習得しないままに、管理者になって、その時、初めてその違いを学ぶ、しかし、部門全体としては、問題が無ければ、その人は研究管理者として、大きな問題とはならないで過ごせる。

 今回の事件は、そんな環境の中に置かれたことで、問題が発生したことも大きな要因と思われる。
  しかし、本当は、こんなことは、あっちこっちで発生している問題であると想像する。
  解決策としては、研究管理者は、若い時から、管理訓練を受けた人がやるべきで、研究者は研究者としての評価や地位を受けるシステムがあれば、管理者になる必要はないのである。  

  この問題はどうなるのか、今後も社会システムの問題として、今後の改善に興味がある。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする