・・・大分前の話ではあるが、大相撲の横綱白鵬が大関稀勢の里戦での取り直しの判定に「なぜ取り直しなのか」と判定に不服を述べていることが大きく新聞などに報道されて、横綱審議会などの委員から、横綱として、思慮に欠ける発言とし、厳重注意がなされたと報道された。
ここで、横綱の思慮と云う言葉に私の目は留まった。 審議委員がいう横綱の思慮とは「審判の判定はすべてと考え、異論があっても、文句を言わない」と云う事であろうと思う。
私も審議委員の意見に基本的には、賛成ではあるが、人によっては、審判の判定はおかしいから、文句を言っても当然であると云う人もおられると思う。
私も、その時テレビを見ていて、
テレビで見る限り、物言いがついて、相撲の取り直しはおかしいが、プロの興業としては、取り直すべきと思った。
更なる一番の取り直しで、相撲を見ている人はどれだけ多く楽しめるか計り知れない興行上のメリットがあると思った。
そのやり方はどう見ても、ルール違反とか、八百長と云われない範囲であれば、お客さんを喜ばす方向に、筋書きを進めるのに協力するのが横綱の役目と考えなければ、いけないと感じた。
横綱審議委員も「審判の判定はすべてと考え、異論があっても、文句を言わない」と云う表現でなく、「プロの相撲の最高位の力士として、相撲界全体を考えた発言をすべき」と意見を言い、諭すべきだと思った。
こうして考えると、同じことを言っても、言い方で、聞く人には違う結論に達することがよく分かった。