ジョギングはシャンパンの味

ジョギング、写真、革クラフト、木工、パンつくり、日本の古代史などを趣味にして楽しんでいます。

人間が枯れるということ

2019年12月10日 07時15分04秒 | エッセイ

・・・昼のテレビ番組に、「やすらぎの刻 道」という若い時にタレントだった人だけの老人ホームを舞台にした、連続ドラマがある。

   老人にも色々ある、テレビに出ている俳優は、老人と云っても、若い時と変わっていない、髪も黒々としているし、顔も皺が少ない、体形も変わらない、なんでこんな様子で居られるのかと不思議な人もいる。
   しかし、ほとんどの俳優は雰囲気は若いときそのままに、その人とわかり、全体が老けた感じではあるが、髪形・服装・アクセサリーを若い時のままにしているものだから、体形や皺の多さは隠せなくて、ギャップとして、老いがより厳しく感じられてしまうことがある。
   こういう人は、歳をとっても、若い時と同じ外見でいたいという願望が感じられる。
   これも、老人の有り方として、あるべき在り方かもしれない。

   一般の老人の場合は、今までの人生経験から、歳をとっていくにつれて、周りの人の世話にならざるを得なくなるし、社会の中で、助ける側から、助けられる側に変わっていくことを自覚している。
   助けられる側に回った時は、老人は若い時と同じ感じより、老人らしく枯れた感じになっていく方が、生きていきやすいように思う。

   人間が枯れるというのは、植物が水分が抜けて、脂分も抜けて行くのが枯れると同じで、その人持っている欲とか、色気とか、才気とかが自然と消えて行って、その人の存在が、安らぎを与えるような感じを言うのではと思う。

   歳とともに、そうなるには、若い時と同じ環境、人間関係、考え方を持っていては、そうはならない。
   人生をある時に、それまでの環境を全て、切り替えて、考えを変えた新しい人生を歩まないとそうはならないと思う。

    本当に枯淡の境地になって、時の経過と同じくして、人として枯れる事が、老人のうまい老い方の様に思える。

コメント
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