新聞のコラムにLINEの文章について、いろんな読者の意見が掲載されていた。
「やたら句読点を打つのは年寄りの文章」と書いてある記事に目がとまった。
その記事の中には、最近の若い人のLINEの文章には
①「テレビで」というところを、「テレで」と書いたり、
②「了解」という単語の代わりに「おけ」(オッケーの意味)、など、LINEで使われる単語は、もはや、外国語と同じで、違う言語のようなものであると書いてあった。
しかし、私たちが若いころに習った国語学習では、文章は人に伝わることを第一に文章を作ることを習った。
したがって、句読点は人にわかってもらう文章作りの基礎であると私は、考えている。
例えば、先のコラムに載せられていた、句読点が大事な文章例として、
「デンプンが分解されなくなった」という言葉と、「デンプンが分解され、なくなった」と、という文章では、二つの文章の伝える意味は、まるで違ってくる。
特に、仮名文字のみで書かれた文章においては、句読点は、とても大事と思う。
以上、年寄の「あるある」の感想文でした。