「現場の意見欲しかった」=教科書閲覧、役員も把握―東京書籍、会見で陳謝
謝らなくていい。会社は何もわるいことはしていない。
教科書。つまりは国定教科書だ。教科書検定という名の「検閲」をされて生徒に配布される教科書。それを,採用前に見たいのはあたりまえだし,必要なことだ。生徒に配布するのに,事前に見ないでどうやって採用するというのだ。採用時期は新学期前であり,教科書の配布が4月1日からでは,計算の道理があわないことぐらい,ソロバンの苦手な人でもわかる話である。
そもそも,国定教科書であるからして,検定前と検定後のPDF版を公開すべきである。むしろ積極的に,教科書に関する情報は公開されるべきである。
僕は,この問題のきっかけとなった三省堂のときに「パンドラの箱が開かれた」と書いたが,それは「文科省のオカシサが露呈する」という意味である。
考えてもみよう。数学や理科といった自然科学分野でさえ,教科書の正規版ができる前のものは公開できない。貸与もできない。
それは,憲法の保証する「国民の知る権利」を無視している。
国定教科書は,検定費用に国費がかかっている。つまりはパブリックドキュメントも同じである。
パブリックドキュメントに著作権は存在しない。まあ,教科書に著作権が存在しないとまでは言わないが,「国定教科書ゆえ,検定意見などのやりとりの一部始終を公開すべき」と考える。
いまなら,いくらでもPDFで公開できる。
事前に公開すると採用に偏りがでるなどと偽善者が語っているが,それは「社会のルール」を知らないコドモの発言である。SMAP騒動が見せたように,オトナの社会には「掟」があるのだ。
掟はオキテ。しかし,むしろ検定中の教科書を事前公開することにより,教科書会社のダークマターもあぶりだせ,社会的には正しい方向に向かうと考える。