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「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

観音寺競輪 ・ 62年の歴史に幕!

2012-03-09 22:07:46 | 競輪・オートレース
























3月7日、観音寺競輪が62年の歴史に幕を閉じた。
昭和60年当時、全国に競輪場が50ヵ所あった中で、
もっとも好きな競輪場だった。
そんな競輪場が無くなるのはとても寂しく感じる。

地元ではないが、A級の初優勝が観音寺だったし、
現役時代一番優勝回数(3回)が多かったのも観音寺だった。
それに、通算300勝を達成したのもこの観音寺競輪だった。
とにかく想い出が多く詰まった競輪場である。

これから観音寺競輪は開催されなくなってしまうのは、すごく寂しい。
ボクはすでに競輪選手を引退しているが、
観音寺競輪の想い出は死ぬまで忘れないだろう。
今まで、観音寺で走れたことに感謝しています。
ありがとう!観音寺競輪場!

香川県観音寺市三本松甲2143-2




沖縄県那覇市  ・  沖縄の文化財  「 園比屋武御嶽 ( そのひやんうたき )」

2012-03-09 22:00:31 | 沖縄の文化財





指定年月日 : 平成 12 ( 2000 ) 年12月2日 
Designaed Date : December 2,2000
所在地 : 沖縄県那覇市首里真和志町1丁目
Location : Syuri-Mwasi-cho,Naha-Shi,Okinawa-ken



園比屋武御嶽は守礼門を通り抜けた左側の石門とその後ろの木が生い茂っている一帯が御嶽である。
『 琉球国由来記 』 には、「 ソノヒャブノ御ベイ 」 と書かれている。
この御嶽はかつて琉球国王が旅に出る時に旅の安全を祈願した場所だと言われている。
そのため現在でも信仰の対象になっており、拝む人も多い。
石門は尚 真王の時代 ( 1519年 ) に竹富島生まれの西 塘によって造られたが、
沖縄戦で破壊されてしまい一部残った物以外は
昭和32年 ( 1957 ) に復元されたものである。


 The utaki is in a woods on the left of and behind Shurei-mon Gate.
This utaki is believed to have been a place where the Ryukyuan monarch
prayed for the safety of his trip.
It is still considered to be an important spot, and a lot of people go there to pray.
The former stone gate was built in 1519 by Nisi-Tou who was born in Taketomi island,
but it did not survive the Battle of Okinawa.
The current stone wall was built in 1957.


熊本県苓北町富岡 「 富岡漁港南防波堤灯台 」

2012-03-09 21:50:55 | 熊本の灯台



















山の上には 「 富岡城址 」 が見える。





富岡漁港南防波堤灯台は、
天草下島の苓北町にある苓洋高校の裏から伸びた防波堤の外端に立つ灯台である。
初点は昭和48年6月1日と、あまり古い灯台ではない。
頂部までの高さは9.56mで、平均水面から灯火までの高さは14.35mとなっている。
灯質は単閃赤光で、舞い秒に1閃光の割合で照らしている。
現用灯器はLED灯器 ( Ⅱ型赤 ) になっている。

熊本県天草郡苓北町富岡