グスク内にある鳥居と拝殿
越来グスクの説明板
わずかにその面影を残す土手
グスク横にある城前公民館
グスクからの沖縄市の眺望
沖縄市のコザ十路の手前から左道 ( 西 ) の坂を上ると城前公民館がある。
その隣は小公園になっており、角に拝所がある。
グスクはアメリカ軍の攻撃を受けて、ほとんど破壊されてしまっており、
戦後敷きならされて、米軍の資材置き場になり、その後住宅地に変貌したので、
ほとんどグスクの痕跡を残していない。
越来グスクは、かつて琉球国王の尚 泰久・尚 徳・尚 宣威が居城としていたところである。
11世紀の築城だと伝えられるが、詳細については不明である。
1350年に察度王が即位し、その子を越来グスク城主として、
要衝の地・越来グスクを監守させたという話もあるが、定かではない。
その他に越来按司が居城にしていたといわれているが、これも確たる資料はない。
尚 泰久が領主であったころ、世利休女 ( せりきよ ) という名の妾がおり、
その妾に生まれた男子を江洲按司と称したという説がある。
その江洲按司が後の、尚 徳なのか、尚 武のことなのかは不明である。
また、世利休女との間に出来た子の誕生お祝いに、ミカンと白椿の木を植えたといわれている。
現在の川端家が世利休女の屋敷だといわれ、尚 泰久ゆかりの門中が拝している。
越来グスクへのアクセス
越来グスクへは、国道330号線を胡屋十字路からコザ十字路に向って行くと、
十字路手前の右側にアーケード前を左折すると
越来中学校手前の左側に児童公園になったグスクがある。
駐車は、公民館前の路上に駐車した。