島の中にある小社祠と神石
現在も島の形をそのままに保存している
祠の横にある 「 神石 ( 墓石? ) 」
鬼塚についての説明版
鬼木にすがって泣き疲れてフラフラと椎田の海岸まで歩いた鬼は、
鬼塚という島にたどり着いたところで息が絶え、
頭はこの島に、胴体は求菩提山に埋められた。
その後、この島は満潮には浮島となり、
干潮には砂州となって水没することがなかった。
しかし、昭和30年代の干拓事業で陸地になってしまったが、
鬼の祟りを恐れて、島の形は当時のまま保存されている。
昔は 「 魂塚 ( たまつか ) 」 「 鬼ヶ州 ( おにがしま ) 」 と言われていた。
求菩提山開山行善和尚が、この魂塚で白山権現の示現に会い、
それにより求菩提を開いたと求菩提山縁起にある。
また、求菩提鬼会の伝説に、威怒岳の八鬼の鬼を猛覚魔卜仙が神力を持って退治し、
鬼の頭を鬼ヶ州に埋め、胴は犬ヶ岳に、
手足は明神の浜 ( 豊前市 ) にそれぞれ埋めたという。
地元の古老による言い伝えでは、後宇多帝の御代 ( 弘字四年・1281年 )
博多に蒙古の大軍来襲、閏七月一日暴風雨によって元軍々船は覆没、敗走した。
日を経て元軍の遺体が湊の奥の浜に漂着した。
その容貌はまさしく鬼であった。
漁人はこの州 ( しま ) に漂着した元軍の遺体を埋葬した。
それ以来、この州 ( しま ) を鬼塚と呼ぶようになったという。
所在地 / 福岡県築上町湊 ・ アグリパーク内 ( 水辺公園 )