「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

福岡県築上町 「 宇留津城と白い犬 」

2014-10-05 04:51:41 | 歴史 ・ 墓 ・ 城 ( 本土 )








旧・椎田町の北東、航空自衛隊築城基地の東方約1キロの所にある
宇留津の集落全体が城跡だといわれている。
宇留津の海岸の須佐神社の南は大きな潟がふさがって、
村人から塩田 ( えんた ) 沼と呼ばれていた場所は、城堀の跡である。
こうした中に建てられた宇留津城は、別名・塩田城とも呼ばれ、宅所兼本城の要害であった。

須佐神社の前に 「 宇留津城之碑 」 があり、ここが城の中心であったと思われる。
付近に「城井戸・姫井戸」と称される古井戸が残っていたが、
現在は埋められてしまって面影すら残していない。
集落の東と西に土塁があったが取り除かれ、
南と北の両端に 「 カマエグチ 」 という地名があり、
これは 「 構え口 」 の転化で、ここに城の表門、裏門があったものと思われる。

この城は、元暦年間 ( 1184~85年 ) に源 義経が緒方三郎惟栄に命じて築かせたもので、
この時、加来次郎を置き、のち加来氏代々の居城となった。
応永5年 ( 1398年 ) 、大友氏鑑が豊前に侵入したが、
この時、大友に加担した者の中に加来三郎の名がある。
弘治2年 ( 1556年 ) 春、豊後の大友宗麟が豊前に侵入したが、
その時、当城について 『 宇佐軍記 』 に、
「 築城郡に討ち入り塩田の城に押寄れば、加来孫兵衛惟康冑を脱いで平伏す 」 とある。
のちに加来氏は宇都宮氏に属した。

天正14年 ( 1586年 ) 10月に黒田官兵衛を軍監とした、
毛利三軍 ( 毛利・吉川・小早川 ) 総勢2万5千騎で高橋元種の小倉城攻めで、
高橋氏は小倉城を放棄して香春岳城に逃亡。
そして馬ヶ岳城の長野氏は官兵衛の謀略により城を官兵衛に明け渡し、
黒田軍に味方をして、11月7日の宇留津城攻めをした。

宇留津城主・加来与次郎は高橋氏と同盟を結び、
父・専順を人質として香春岳城に送っていた。
官兵衛の謀略を受けたが、父を取るか城を取るかの判断で、
迷った挙句 「 父を取り 」 、2千人が宇留津城に立て籠もり、
毛利軍2万5千騎、黒田と長野および宗像総勢2万8千余騎の大軍と対峙した。
腰まで浸かる泥沼の濠で毛利勢が攻め倦んでいた矢先、
一匹の白犬が濠を歩いて渡るのを見て、母里太兵衛を先頭に、
井上九郎右衛門、栗山四郎右衛門、後藤又兵衛、野村太郎兵衛、
久野四兵衛、大野小弁、吉田六郎太夫、吉田又助、林太郎右衛門などが攻め入った。

ひと晩のうちに宇留津城は陥落し、一千人におよぶ戦死者を出し、
翌、生け捕りにされた男女子4百人を磔にし、
死骸を海に流したといわれている。

犬が堀の浅瀬を渡ったため落城し、多くの死者を出したということで、
この戦い以後、村では白い犬を疫病神のように忌み嫌い、
白い犬を飼わないようになったといわれている。



馬の詩より ・ 「 レコードホルダー 」  ケイエスミラクル

2014-10-05 04:50:41 | 馬の詩 ・ それぞれ...



                          油彩 ( F8号 )





 「 レコードホルダー 」  ケイエスミラクル



独りぼっちでやって来た
アメリカ生まれの快速馬
レコードタイムを
作るためにだけ
生まれて来たような
そんな生涯を思うにつけ

馬のしあわせは
何をもって
成就するものかと





平成3年12月15日 中山競馬場
第25回 スプリンターズステークスにて
左第一趾骨粉砕骨折のため予後不良