正面にある神殿
鳥居をくぐると正面に神殿、その左に祠や 「 醍醐経一字一石塔 」 がある
宇賀貴船神社の全景
宇賀神の祠
宇都宮一族の追善供養供塔「 醍醐経一字一石塔 」
「 醍醐経一字一石塔 」 は神社の塀を隔てた場所にある
対岸 ( 吉富町 ) の小犬丸の土手から見た中津城
宇都宮鎮房の娘、鶴姫はこの一帯では千代姫とも呼ばれており、
そのためここでは鶴姫ではなく、あえて千代姫として物語を書かせてもらうことをご了承願いたい。
中津城を前にした築上郡吉富町小犬丸の山国川。
その河原一帯に昭和20年代まで十数本の老松が立っていたが、
現在は、防波堤の護岸工事のため切られた松林に悲しい物語が残っている。
時は天正のころ、豊臣秀吉に国替えを命じられた宇都宮氏がそれに従わず城井城に立て籠もった。
それを攻める黒田氏は馬ヶ岳城から中津城に拠点を移し、攻防を繰り返した。
その後、黒田氏は攻略結婚によって宇都宮の娘千代姫 ( 鶴姫 ) を人質にとったうえで、
謀略を用いて宇都宮氏を討った。
鎮房をお供して合元寺で帰りを待っていた家臣たちの戦いの血しぶきの跡は今も消えず、
そのため
お寺の壁は赤く塗られ 「 赤壁 」 のお寺として有名である。
宇都宮鎮房を謀殺した黒田は、残った千代姫をはじめ千代姫の付き人13人を
千本松河原で磔 ( はりつけ ) にした。
悲惨な情景を見た土地の人々は、千代姫らを悼んで松林の大木の根元に小さな塚を盛って
遺体を葬ったという。
時は元禄に移り、中津藩主は小笠原氏になっていた。
そのころ、千代姫の塚から ” 足を持つ大蛇が出る ” という噂が立った。
亀のような足、兎のような耳に、鯰のような髭を持った長さ10尺 ( 約3m ) ほどの妖怪だ。
時の役人、木村文兵衛はその大蛇を退治しようと、毎夜銃を手に機を窺っていた。
そんなある日大蛇があらわれ、文兵衛はここぞとばかりに銃弾を撃ち込んだ。
その弾は見事に命中し、大蛇を射止めた。
文兵衛は射止めた大蛇を塩漬けにして、江戸在府の小笠原長円公に差し出した。
ところが、長円公はにわかに病の床に就き、うわごとを言い始め、
撃った木村文兵衛は数日後に血を吐いて変死した。
小笠原の重臣たちは相談の末、大蛇の塩漬けを中津に送り返し、
墓所に埋めて祠を建て、弁財天として祀った。
現在の宇賀貴船神社の宇賀神がそれである。
かつて千本松として枯れると植え替えられていた松も今は面影はなく、
千代姫を葬った塚もない。
その後、 「 醍醐経一字一石塔 」 が宇都宮一族の追善供養のため、
1812年に中津藩主・奥平昌高の手により建立された。