「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

1月8日 「 雲の切れ間のオレンジ 」

2015-01-08 09:51:41 | 朝の風景とその他の風景







低く垂れこめた真っ黒な雨雲と地上との隙間に
オレンジ色に染まった空間が帯を引いていた。
そのコントラストに気持ちが動いた。

今朝、小雨が降っていたが現場に向かった。
現場に着くと空を見上げて 「 どうする? 」 と訊かれ、
即座に 「 雨だし、風邪でもひいたらいけないから休みにしよう! 」 と言うと、
腕組みをしていた監督が 「 ふむ!ふむ! 」 と思案している様子。
ここで強引に 「 明日から連続して天気がいいので、明日からにしましょう。 」 と押すと、
「 そうやね~この状態で土はいじれんし・・・ 」 で、休みが決定した。
その代わり、仕事の進み具合で要請があれば、日曜出勤も協力するつもりである。



1月7日 「 幻日と それぞれの空 」

2015-01-08 05:03:41 | 海 ・ 港 ・ 空 ・ 木々



虹のような ” 幻日 ” が現れた4時過ぎの空









幻日の空にF-15が飛んでいた








爆音を響かせてF-15が頭上を飛んだ














煌々と輝いていた朝陽







雲の切れ間の青・ボクの好きな色 アオ・・・





昨日が今年の初仕事だった。
そんな現場に向かう車から見た朝陽は煌々と輝いていた。
そして車からは、我如古より子が唄う 「 恋ぬ花 」 が流れていた。

仕事は6日からだったが、6日は雨だったので昨日になった。
今年最初で、しかも久しぶりの仕事だったが、
マルカラスカルでGⅠを勝っても淡々とインタビューを受ける
西谷 誠のようにボクは気負うこともなく淡々と仕事をこなした。

そんな昨日の空は色んな顔を見せてくれた。
日頃見せない幻日まで姿を見せて、
それはまるで岩田行雄のミステリアスのようだった。



大分県玖珠町 「 旬菜cafe ・ ひだまり 」

2015-01-08 05:02:41 | グルメ











地元の自然食がふんだんに使われたプレート








フツーの店ではおそらく出されていないだろうと思われる 「 ムカゴの天ぷら 」








藤本一精ではないが ” めちゃくちゃオイシイ ” パンプキンスープ




















心もカラダも暖めてくれる 「 薪ストーブ 」





1月5日、玖珠町の 「 角牟礼城跡 」 に行った帰りに、
がんこ爺さんのそばまんじゅうの近くにある 「 旬菜cafe・ひだまり 」 に行った。

ここで頂いたのはカレーではなくて、850円の 「 ひだまりランチ 」 である。
一瞬、カレーにしようかとも思ったが、カレーは他でも食べられるので、
ここでしか食べられない 「 ひだまりランチ 」 にしようと、
「 ひだまりランチ 」 をお願いした。

地元の食材を使った 「 ひだまりランチ 」 は、ことのほか美味しくて、
特にパンプキンスープは絶品であった。
これだけ美味しいのならば、きっとカレーも美味しいだろうと思い、
今度、来ることがあったら次回はカレーを食べてみたいと思っている。


佐賀県唐津市 / 唐津くんち 「 十四番曳山 ・ 七宝丸 」

2015-01-08 05:01:41 | 日記 ・ イベント












































唐津くんちの紹介で、今回が最後になる14番目の七宝丸。

江川町の七宝丸は、1876年(明治9)大石町住、田中市次正信、
大工、宮崎和助・塗師須賀仲三郎によって製作された。
曳山に関する資料としては昭和61年修復総塗替の際、龍頭の中から木札が発見された。
この発見により製作者および製作期間が明確に判明した。

曳山には赤獅子と青獅子などの対となるものがあり、七宝丸の製作にあたり、
中国の古事の中に龍頭鶏首の船による貴族の船遊びの記録をもとに、
当時の製作者が大石町に住んでいたため、
大石町の船として龍頭の七宝丸を製作したものと推測される。

七宝丸は長さがあるので、栓木(支柱)が二本使われ、重心は前におかれ、
カジ取りがうまくいくように設計されている。
こ曳山の特徴は太陽に玉を頂いた屋形と磁器の龍のツメと歯であり、
しかも屋形自体が左右に動くように工夫されていることである。
船体は木組みの一閑張りで、龍頭と頸は芯まで紙の一閑張りとなっている。
幅は2㍍、長さ約6.3㍍、重さは3㌧である。

七宝丸には七つの宝がある。
まず、船の上に①宝珠、船尾に②軍配と③打出の小槌が竿に立てられ、
④隠れ蓑と⑤宝袋が飾り付けられており、
船の横の勾欄間には⑥まが玉が互い違いに配され、
欄干の前には⑦一対の巻物がはめこまれている。
その他、笠の後方には長寿のまき絵と鍵。
また、後方の宝袋には松竹梅の折鶴のまき絵が描かれている。
また、曳山の屏風の松竹の絵は、唐津藩絵師・武谷雪渓(大石町住)が描いたものである。

曳山は原則として、製作年代順に曳山を曳くことになっている。
しかし、水主町と江川町の曳山は製作年代が同じであるため、
4日の「町廻り」の日には江川町の14番曳山が先に曳かれ、
水主町の13番曳山がその後に続く。
そして、順路の途中の坊主町の角で江川町が曳山を曳き込み、
水主町が追い越して曳山の順番を入れ替わる習慣がある。
これは他にない習慣である。

[参考・転載:唐津くんち「ガイドブック」(1991)] より