「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

沖縄県波照間島 「 ニシ浜ビーチ 」

2015-01-30 05:15:41 | 離島めぐり



















「 モンパの木 」 の下あたりから青い海が続く







島の雑貨屋さん 「 モンパの木 」





西浜とも書きますが、北に面しており北のことを沖縄ではニシというので、
ややこしくなってしまいます。
海の色がとても美しいビーチで、八重山では竹富島のコンドイビーチと双璧といえます。
このビーチがなかったら波照間の魅力は半減するかもしれない。 と思わせるほどの海である。

ここの浜は砂がとても細かく白いので、八重山で他にない、
ここ独特の青さが生まれるのだと思います。
サンゴ礁の海で素足でも海水浴を楽しめるビーチは貴重である。
ということはシュノーケリングで見ても浅いところにはほとんど何もいないと言うことだが・・・。


海に入らなくても道路から海を見るだけでもその美しさが満喫できる。
素晴らしい時間が過ごせる場所である。


大分県玖珠町 「 角牟礼城跡 」

2015-01-30 05:14:41 | 歴史 ・ 墓 ・ 城 ( 本土 )



二の丸の穴太積みの石垣




山腹の要である搦手門跡には秀吉の家臣毛利高政が中央の
築城技術をいち早く取り入れたもので、穴太(あのう)積みによって
造った石垣が高さ約7m、長さ約100mに及び残つている。
この石垣は、軍事上の防衛効果 だけでなく、城の雄姿をも表現している。






二の丸にある井戸曲輪







二の丸の城壁







本丸にある櫓門跡







本丸広場







本丸の城壁







本丸にある大手門








本丸大手門から見た景色







角牟礼城跡への入り口の路標











角牟礼城は、(約197,000㎡)は、角埋山に所在する中世の山城跡である。
角埋山の頂上から本丸、二ノ丸、三ノ丸という順に城跡が残っている。
穴太積みの石垣が残されているのは全国的に珍しく、
近年の発堀調査によって、山頂に残る石垣や出入り口が、
わが国で石垣が本格的に採用されされはじめた文禄・慶長期(1592→1614)
の特徴を持ち、積み方も当時の穴太(あのう)積みそのものであることがわかった。

角牟礼城は1594年(文禄3)頃に毛利高政によって豊後の要の城から、
領国支配のために土塁で囲まれた曲輪(くるわ)や竪堀のある中世の山城を、
穴太積みの石垣や櫓門(やぐらもん)をもつ近世の城郭に作り変えたと 考えられる。
このことから角牟礼城跡は、中世の山城跡と近世の城跡の両方を残している。
城の変遷を知る上で貴重な史跡である。

角牟礼城は、玖珠地方の拠点的城郭であり、
土造りの城から石垣をもつ城へ転換する、転換期の城である。
また、築城技術の地方への伝播を知る上でも重要な資料であり、
築城以来修復の跡が見られず、保存状況も完璧で、
資料の少ない織豊時代の城郭構造を解明する貴重な史料である。