Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

デジャブからカタストロフへ

2005-02-19 | アウトドーア・環境
鳥のことに現を抜かしている内に、京都議定書が発効された。エネルギー供給や冷害の歴史を見ていると、この議定書がもたらす実質効果よりも誓いのような意義を持つものである事が分かる。そう思っていると新聞に、米国で研究生活をした地質学者がインタヴューに答えて語っている。

「米国抜き、中国の途上国免除では、効果は知れている。そもそもこれぐらいの温度変化は過去にもあり、少々温かくなるのは利点である。国際間で損得が出来て、それが報道されることから問題になるようになった。」と要約できる。正直に述べているのでグローバリズムの一面を白日の下に曝す。さらに「風力発電は投資額が合わないので、難しい。」と意見を述べる。

多くの人が原子力発電に関しては絶えず不安を持ちもしくは懐疑的な立場を取っている。その多くが代替がないので、現状を仕方なく認めていることも事実である。自身、発電所の見学に参加して、管制室から反応炉塔の中を覗き、制御棒のモニターを見て、食堂で昼をご馳走になって帰ってくると、如何に環境に優しい発電である事かが納得できた。放射能は、見えない、聞こえない、匂わないので快適である。塔の遮音の関係もあり、風力発電などより静粛で環境に優しい印象を持っている。

しかしあの9月11日以降、事情は大きく変わった。原子力発電所への航空機激突をまで考慮しなければならなくなった。先日、連邦大統領によって署名されると同時に憲法裁定を促した、民間航空機撃墜許可の法制化は現代社会の根幹に大きな矛盾を投げかける。ノーベル文学賞のギュンター・グラス氏ではないので非擬預言者的な発想はできないが、カタストロフへの次元の推移を想起させる。

カタストロフ理論もしくはブラックボックス理論として扱うと、パラメーターが限定できる。その書物が初めて翻訳された時、生涯初めて購入した書物であったことを思い浮かべると、購入の切っ掛けとなった度重なるデジャブを幾らか追体験できる。

9月11日の事件数時間前にコルマーからライン河を渡った。通常ではあり得ない小型自動小銃と双眼鏡を構えた対テロ体制であった。その物々しい仏国境警備の光景は、新たな体験となっている。幾つかの現象が少し多平面に連なる。

ドイツ国内の原子力発電炉の数は、米国、日本、ロシアなどに較べると遥かに少ないが、旅行をすると冷却塔の水蒸気が定期的に目に付くはずである。地理的に公平に連邦内に複数個もしくは炉毎に設置されているからである。見学した上の発電所は、小事故に続いて緑の党の力で閉鎖に追い込まれた。

それでも毎日、南側に冷却塔の水蒸気を遥か彼方に見て暮らしている。勿論メルトダウンなどの大事故が起これば、中都市ハイデルベルクだけでなく多くの大都市も、風向きにもよるが為す術はない。警報の試験は度々為されるが余り役立ちそうもない。車の移動とか避難とかは全く不可能だ。核シェルターももちろん無い。フランスで行われるプルトニウム再生を除く死の灰は、ライン河畔の地底深く黄金よろしく封印される。

地域エゴイズムから、原子力発電全面禁止の執行期限を待っている。しかしこれが実現できるかどうかは疑わしい。エネルギー消費の削減が鍵を握っている。フィンランドが、さらに多くの携帯電話機を作るためか原子力発電を復活させる。
コメント (8)
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