Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

強精ビールとチョコレート

2005-02-12 | 料理
断食の40日間 -ビール
 2004 02/26 編集

中世カトリックの断食は、1491年に法王ユリウス三世によって緩やかなものになった。それ以前は、乳製品や卵も「流体の肉」として扱われていた。肉を絶つ事は、キリストの死を思い起こさせ、禁酒並びに禁欲と合わせ精神的な贖罪の日々を意味する。茶もコーヒーも無い時代、生水も衛生上飲料不可であった。修道所では、断食の期間も灰の水曜日と聖金曜日を除いて一日に一回の食事と二回のビールが許された。15世紀以前のビールは、まだホップ風味ではなく、原料に大麦以外の穀物も混じる発泡性の少ないビールだったようだ。断食以外の期間は、ワインの供給などもあり、修道所の日々の肉体労働に対して一日に平均5000~7000カロリーも摂取していたとある。修道士の衣の下に、寒さと飢餓に耐えられるようなブクブクとした脂肪層が隠されていたのだ。


断食の40日間 -チョコレート
2004 02/29 編集

「淫らな欲求を引き起こす」としてチョコレートに異議を唱えたのがドミニック修道会である。それに先立つ事一世紀ほど、法王ピウス五世はメキシコ司教からカカオの贈り物を受けた。1545年から1563年までのトリエント公会議の時である。教会組織の弛みへの反動から再び引き締めを目指した。法王ピウスは、この珍しい贈り物に怪訝な目差しを投げかけ、鼻を鳴らし、一口すすると、殆ど咽ながら不機嫌そうにいった。「これは断食の戒めを破るものでは御座らん」。こうして脂を除いたカカオとバニラと砂糖を混ぜたココアが断食の季節にも飲まれるようになった。イタリア・スペインから欧州全域へと一気に広がっていった。

その後イエズス修道会は、積極的な布教活動で得た新天地利権を拡大させようと、グァテマラで発明されたチョコレートの普及に努めた。それが、イエズス会とドミニック会の大論争を引き起こす。結局、1662年にチョコレート論争は決着した。イエズス会が、海外投資の種の一つを実らせた瞬間だった。
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