19世紀前半にカーニヴァルを扱っている芸術家にロベルト・シューマンがいる。ピアノのために25歳の時に作曲した「謝肉祭」と29歳の時の「ヴィーンの謝肉祭の茶番劇」である。特に前者は初期の名曲で曲集を四つの音、A(イ)、S/Es(変ホ)、C(ハ)、H(ロ)または三つの音、As(変イ)、C(ハ)、H(ロ) による音階を織り込んで構成している事で有名である。もう一つこの曲集の最後の曲が、この作曲家らが参加している芸術運動に寄せて「ダヴィデ同盟の行進曲」になっているのも注目に値する。作曲家自らこの曲名について1835年の「灰の水曜日」(ASCHERMITTWOCH)前(謝肉祭期間)の作曲完成に因んで付けたと語っている。ハイデルベルク滞在からイタリア旅行を経験して、出筆、出版活動を始めていた。政治的謝肉祭と云うものが、ライン流域のカーニヴァルに端を発して、現在も存在する。無礼講の祭りにおける自由精神の発露と云うが、ここで作曲家が示したかったのは直前の時代・世代の芸術的俗物主義を批判するロマン主義芸術へのモットーだったのだろうか?先天性の梅毒が悪化、脳神経障害を起こして、デュッセルドルフの橋からラインに身投げをしたのが謝肉祭が終わる二日前の1854年2月27日「薔薇の月曜日」であった。
木の芽立ちのこの頃、誰もが湧き上がってくる生気を自ずと感じるのである。特に冬から春への気候の変化の激しい日々、例えば先週の金曜日の日差しは強く一斉に芽が吹くような陽気であった。謝肉祭は、カソリック地域の行事であるが、実際は土着的な風習であることに気が付く。このような祭りに自らマスクをつけて参加して汗を掻くと、その効用が良く分かる。悪魔的な夜の松明から灰の水曜日まで参加するとなると、冬の間に体内に溜まった全ての不純物が一斉に皮膚を通して放出される。
ライン流域のカーニヴァルは共通していて、プァルツも殆んどこれと変わらないが、ケルンの場合はカーニヴァルとしか呼ばれないのに対して、マインツは概ねファスナハトと呼ばれる。(非俗物たちのマスケラーデ [ 文学・思想 ] / 2005-02-08より続く、灰の水曜日の前に [ 文化一般 ] / 2005-02-09へと続く)
参照:アレマン地方のカーニヴァル [ 生活・暦 ] / 2005-02-07
木の芽立ちのこの頃、誰もが湧き上がってくる生気を自ずと感じるのである。特に冬から春への気候の変化の激しい日々、例えば先週の金曜日の日差しは強く一斉に芽が吹くような陽気であった。謝肉祭は、カソリック地域の行事であるが、実際は土着的な風習であることに気が付く。このような祭りに自らマスクをつけて参加して汗を掻くと、その効用が良く分かる。悪魔的な夜の松明から灰の水曜日まで参加するとなると、冬の間に体内に溜まった全ての不純物が一斉に皮膚を通して放出される。
ライン流域のカーニヴァルは共通していて、プァルツも殆んどこれと変わらないが、ケルンの場合はカーニヴァルとしか呼ばれないのに対して、マインツは概ねファスナハトと呼ばれる。(非俗物たちのマスケラーデ [ 文学・思想 ] / 2005-02-08より続く、灰の水曜日の前に [ 文化一般 ] / 2005-02-09へと続く)
参照:アレマン地方のカーニヴァル [ 生活・暦 ] / 2005-02-07