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Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

マイン河畔の知識人の20世紀

2005-02-04 | 文学・思想
T.W.アドルノの書いたものを読んだ。彼はマックス・ホルクハイマーやハイデッカーの弟子マルクーゼと共に、社会学・哲学で有名なフランクフルター・シューレを形成する。ユダヤ系で新マルキストの系譜であるこの一派は、当然ながら1933年に追放され、戦後に直ぐに復帰した。

アドルノのエッセイの中でとりわけ有名なのは、1944年から1947年にかけて記した「ミニマ・モラリア」である。ユダヤ系知識人が著した傷ついたドイツ文化の書として一般の興味も集まった。特に若い新しい層の学生に人生哲学書として受け止められ、彼らを虜にした。そしてその後20年近く経って、フランクフルトの新聞への投稿で始まった「特異性のジャルゴン」が著されている。当時の半知的人学生運動の文化的影響を受け止めて、その立場から自己修正していく。それでいながら同時に隠語を使って、二義的な意味を獲得している。これに気が付くと彼の著作や思考の印象が大きく変わる。修辞法が巧妙で、著者の微妙な立場を反映させる事になるが、これはますます理解を困難にしていないだろうか。

前者は1960年代の学生運動時代に愛読書となったと同時に、運動が過激化していく中で体制的と見做されていく。このときフランクフルトの聴講学生に混じる、現在の緑の党の外務大臣ヨシュカ・フィシャーがいる。このハンガリー移民の業を父親に持つ青年は、その後アダム・オペル社での労働運動を牽引する。左翼過激派がテロを起こす1977年まで帯同して活動。1981年の政治家暗殺事件に彼の車が武器輸送に使われたとしてスキャンダルとなる。

この小冊子、今から10年ほど前に近所の小都市の百貨店で処分品の籠の中で見つけて、題名に憑かれて買っておいたものだが、これを仕入れて売ろうとした試みがなんとも不思議だ。ワイン片手に木陰に座りながら、それも現代の哲学に読みふける様子など見た事はない。当時の思潮が歴史の中で捉えられて、期限の切れた薬のように扱われる時、これらの書がどのように読まれていくのだろう。現代の教育、躾、教養、個人、社会などを考えると、40年ほど前のその時代自体に、隔世の感を禁じえない。



参照:ワイン商の倅&ワイン酒場で [ 文学・思想 ] / 2005-02-04
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ワイン商の倅&ワイン酒場で

2005-02-04 | 文学・思想
2004 02/11 編集


フランクフルトのワイン商の倅 - T.W.Adorno (1903-1965)

テオドール・W・アドルノ。父のWiesengrundはワイン商人、母はイタリア人歌手Maria Calvelli。生誕100年の昨年は、様々な視点から多くの書籍が出版された。研究者や同業者でない限り、業績の質と量の全貌はつかみ難い。それでも断章からも捉えられるのは、彼のトレーニングされた冷徹な思考と率直だ。何処までいっても熱を帯びないその思考の展開は、後のベンヤミンと対照的。彼の専門分野の一つでもあった音楽のように思考の中心軸が絶えず動く。彼が、reinen Wein einschenken (直訳:生のワインを注ぐ)の諺の如く絶えず「真実を語れる」のはこの自由度の賜物だ。ワインは、先入観念無く飲めという事だ。


ベルリンのワイン酒場で - Walter Benjamin (1892-1940)

ヴァルター・ベンヤミンが「ホフマン物語」の「語り手」E.T.A.ホフマンについて記している。ワイン酒場で夢遊病者のように亡霊を見、誰彼とかまわずに語りかける「語り手・ホフマン」についての証言を扱っている。作家のヘッセが、「悪魔的」と評するこの「人相観ホフマン」を、希なる都会の孤独な観察者として位置づけるベンヤミンだ。彼と「ホフマンの物語」との少年時代の出会いを読むと、感じやすく熱狂する少年ヴァルターが手に取るように分かる。後年のベンヤミンの仕事と業績は、その感受性ゆえの洞察力と分析力に他ならない。この亡命途上に自殺したユダヤ系ベルリン人は、重要なドイツ語著作家に今後とも数え上げられる。
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