Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

近代物理教の使徒の死

2007-05-02 | 文化一般
カール・フリードリッヒ・フォン・ヴァイツゼッカー教授が土曜日にシュタルンベルガーゼーの自宅で亡くなったようだ。丁度「ナザレのイエス」を読んでいたので、その訃報を知って偶然と思った。

有名な大統領リヒャルトの兄で、自らも大統領候補に推薦されたドイツで最も有名な物理学教授であった。同時に嘗ては第三帝国のウランプロジェクトのメンバーでもあった。

特に大物理学者のハイゼンベルクとの関係は、この教授の肩書きにいつも添えられる。訃報の記事を読むと、コペンハーゲンで知り合って、哲学ではなく物理学の道へと勧められたとあり、その後ライプチッヒの大学で弟子となっている。また、ノーベル賞受賞のハンス・ベーテの太陽の核反応エネルギーの証明へのアイデアは、12歳の時の天体観察にあったと言うから面白い。

第三帝国下でのプロジェクト参加は、核分裂炉の研究で、核爆弾へのものではなかったとしているが、未だに議論の余地があるとされる。また、後年はシュタルンベルガーゼーのマックスプランク研究所のハーバーマス教授と、学生紛争や反核戦争運動に関わっている。

また、マルティン・ブーバーの「何を履行するか、何を行うか宣言しない限り、非合理な事への公的な要請は作用しない」とする研究者と政治の関係を基礎に、政治的啓発運動を行っている。その反面、その影で70年代には自宅の地下に核シャルターを作らせていたことはスキャンダル以外の何物でもなかったであろう。

最近までもラジオ等でこの老教授の話が流れることがあったが、その神秘主義的宇宙観を除いて、あまり興味の無い人物像であったことは偽らざる感想である。この訃報記事にもあるように、1966年の物理学会議で量子力学原理主義的世界観を提示して、同僚を煙に撒き、この哲学者は非難されたとある。

こうした物理原理主義が、あまりに非科学的なことは断わるまでもないが、初期の研究内容を除くと、想像するに後年のものの論文内容を調べると、どうにも批判せざるを得ないものであるに違いない。

それでも、老学者が最後にミュンヘンの弟子を訪ねた折り、「太陽のことより、物理学と言うものを一望したこと、これこそが私の最も重要な業績だ」と語り、「物理無き所に、政治なし、倫理なし」とぶちあげたらしい。そして、東洋の人生訓に従って、電気も電話も無い草原の小屋暮らしを愛する清貧の生活感を持っていたと言う。

まさに、これは、構造主義的に境界を取り払った自然科学の精神科学化であったのだろう。



参照:
ナザレのイエスを注文 [ 文学・思想 ] / 2007-04-22
皇帝のモハメッド批判 [ 文化一般 ] / 2006-09-16
コメント (2)
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