Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

民主主義の政治モラル

2007-05-05 | 
火曜の晩、フランス大統領選TV討論会を観た。同時通訳のものを始めから30分後位してから、その後二時間以上観た。討論が終わったのは、11時40分ほどであった。

経済、労働、税の問題から、環境、年金・保険、教育、政治システムなどに仔細に討議された。司会者が余り口を挟まないのが特徴のようで、それでも二分ほどだけ攻めのロワイヤル女史が多く喋り、それを護りのサルコジ氏は構わないと認めた。

その主張の内容の「真実と嘘」は全く判らないのだが、基本姿勢は十二分に示せたに違いない。特にこの二人の政治姿勢の違いは顕著であった。

具象性に欠ける感のある女史が、ライヴァルの政策領域に踏み込み、また反対にサルコジが女性候補の信頼を失墜させようとした戦略は良く見えて、ドラマとしてのハイライトは、障害者教育問題に持ち越され、これが女史の強みを見せたか弱みを見せたのかは、聴視者の気質によって別れるのではないだろうか?

同時通訳の影響もあってか、サルコジの印象は大変悪かった。特に、誰もが普通教育の包容力を期待しながらも特別な早期教育の必要性を知っている障害者教育を、あれだけいとも簡単に特別教育の価値を切り捨ててしまう態度は、女史が怒る「モラル無き政治」に相違無い。

「目に涙する」とする状況をサルコジは突くが、政治とは実はこうした情動的なものであるとされているのではないだろうか?「怒っているだけで、正気を失っていませんよ」と言う女史の態度の方が、指導者に相応しいと思うがどうだろう?

北京オリンピックをボイコットぐらいの圧力も必要とする女史は、中国旅行を経験として示しながら、それでも司法制度に強く懐疑を示すのは当然であろう。一方、トルコを小アジアの立派な偉大な国として慇懃に持ち上げておきながら、イラクと国境を接するような欧州には絶対出来無いとするサルコジの主張は、サルコジを支持するバイエルンのシュトイバー首相でも発言しない理不尽な口調でこれには非常に呆れる。

その反面、仔細な議論の方法は、フランス文化らしくて、ドイツでは今やここまでイデオロギーをぶつかり合わすことはない。シュレーダーとメルケルの討論会は、イデオロギーをちらつかせたメルケルでは無く明らかにシュレーダーの勝利であったが、それは各々の政治姿勢が評価されたと言うよりも、指導者としての器量が判断された。しかし直接投票では無かったので、結局討論会で負けた方が女性首相となったが、それはそれでそのイデオロギーとは殆ど関係の無い大連立の調整役として上手に機能している。

それに比較して、今回はより基本の政治姿勢であるイデオロギーが前面に出ている。消費購買力を財政の基礎に置くサルコジに対して、公正な社会と労働力の再生を基礎に置くどちらもあまり現実的ではないとしか思われない。だから女史のように、大統領権限に対して国会の権力を強化する改正を主張しているのだろう。いづれにしても、EU経済圏内でその国家財政は厳しく監視される。

しかしキャピタルゲイン税や相続税などを使って、自由主義社会を容易に引き締めようとする社会党が、また教育の画一化と最低賃金付きの短い労働時間を主張するのに対して ― また京都議定書を満たさない国の製品をボイコットするのも良かろう ― 、サルコジ側が示すネオコンサヴァティヴな主張の対極化は、本当により良い議論の方法なのだろうか?ディベートと言われるただの技術的な方法でしかないのではないか?

「TVを観た視聴者は民主主義を習えた」とも評価される討論会であったが、対話よりも強引な方法を主張するサルコジ候補が勝利するならば、その評価には賛成できない。



参照:
EUROPE1
四苦八苦する知識人 [ 文学・思想 ] / 2007-05-07
東部前線での選挙動向 [ 歴史・時事 ] / 2007-04-25
サルコジ批判票の行方 [ 女 ] / 2007-04-23
コメント (9)
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