Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

好みに主観は存在しない

2007-05-08 | 試飲百景
リースリングワインの試飲が相継いだ。それをグラスに注ぐと、ケミカルをフラスコに入れて判定を下すような気持ちになる。気持ちは殆どケミストである。その黄緑色を帯びた液体を振ると匂いを放つ。それは、今までの液体とは異なる経年変化する、複雑な化学構成をもった対象物となるのである。

日本からのお客様は、ワイン街道を経ちモーゼル方面へと元気に別れを告げた。12時間の空の旅を経て、フランクフルト空港からこちらへと直接来られた。生憎、当晩は数日前の夏日和も終りへと傾き、雲が出る天候となり、ガーデンでの食事なども些か肌寒いものとなる。ワイン醸造所の樽だしレストランが、オーナーの兄の醸造所のオーナーと仲違いしていた事は聞いていたが、まさか醸造所のワインを出さなくなっていたとは気が付かなかった。兄弟喧嘩は、両件にとって間違いなく損失である。

明くる日は、早朝からワインの試飲を始める。三件廻る計画もあって、また午後には用事があって、すべて吐き出すことにしたが、旅の方には厳しい試飲の日々となった事はお詫びしなければいけない。

五日間に七件以上のボルドーワインを試飲したギネスブック並みの経験からその厳しさは知っていた積りであるが、ついつい鬼道場主のような計画を立ててしまうのである。デート計画も連れ回したがりで、悪気は無いのだが、欲張りの性格がどうしてもこのようになるのである。それにも拘らず、体調を大きく壊されることも無く、予定の主要プログラムを略こなして頂いた。

ざっと一望すると、二日間で四件の醸造所で、五十種類ほどの2006年産の辛口のリースリングワインを中心に試飲する。個別には改めて書くべきと思われるが、印象に残った点を振り返ってみる。

普段は吐き出さずに飲んで試飲する事が多いが、今回のように吐き出すと数を試しても酔わないのは流石に大きく異なる。酔わないと言うことは、判断の冷静に出来て、それほど前後の試飲の印象が変わらない、何よりも酸で唇や口内が荒れるだけで、胃には来ない。それでも昼食にワインを飲んだりすると、どうしても内臓に堪える。

用事を済ませて夜遅くまで食事を取り、翌日も引き続き試飲を繰り返す。しかしその時点でも、口の粘膜は本調子ではないが、昨日の記憶も比較的しっかりしていた。特に夕食に、ロースのビフテキを食べたのが良かった。赤ワインとビーフとアスバラガスを焼いたものはなかなか良い食事である。更に2002年産?グランクリュリースリングを別けて飲むと、チップを入れて39ユーロと、ここ何年も支出した事の無い高価な食事代となったが、肉の硬さを除いては十分に満足出来る物であった。

前日お昼の焼き鱒に、玄武岩土壌味の2006年産リースリングワインもなかなかおつで、蔵出しレストランの醸造所のご主人に、その出来具合を褒めた。天気が良くて、ああして戸外で食べれるとこれ以上何も言うことは無いのである。

全種類の三分の一ほどのワインは、ここ数週間に試飲したことのあるものであったが、その瓶詰め直後の印象とは大きく異なるものも少なくはなかった。瓶詰め直後は物理的なストレスがあるので、ワインシックのように落ち着くには時間が必要となる。それだけでなく、既に熟成を始めているのである。そうした観点から、試飲は主観客観以上に経年変化の振幅が大きいと知るのである。

また、味の質と言うものは、香りから始めて、唇に触れ、丸められた舌の上に乗せられて上唇の裏側に触れて、丸められた唇から空気をチュルチュル・クチュクチュと吸い込んで、ワインが混ぜられた所で、上顎の粘膜に触れて、上から奥へとワインが送られる事で、様々な味が広がり、下顎裏側から奥へと送られて、歯の裏側まで回されて、始めて判るのである。

こうした試飲でなくとも、ワインを味わうと言うのは、時系軸で切る事で、分析的に評価できる。どのワインが好みかは、このバランスを重視すると同時に、どうしても拘る要素が時系軸で区切られたどの一事象であるかである。

好みも時系軸で切られ、その出来も時系軸で切られるとなると、主観客観は殆ど存在し無いことになるがどうだろう?その時系軸を切るものが、気候やライフスタイルを指す環境なのである。
コメント
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