サイモン・ラトル卿の指揮はどうして立派だった。室内編成のオペラとは異なり四管編成の大交響楽団では全く異なった指揮をする。そしてこの初期のマーラーの交響曲では決して曲の弱点を隠すことなくありのままにそれを曝け出すことで大成功していた。あれほど弛緩した終楽章などもマーラーの交響曲にもほかにはないと思われるが、通常の指揮者ならばなんとか聞かせどころを用意して飽きさせない。その最たる例がロリン・マゼールなどで、ややもするとマーラーの交響曲を演奏しているのか、自作の指揮ぶりをアピールしながら管弦楽曲を演奏しているのかわからなくなる。レナード・バーンスタインのマーラールネッサンスのそれを批判する以前の問題である。
当日のプログラムにベルリンのフィルハーモニカ―とこの復活交響曲の関係が詳しく触れられているが、1895年11月のベルリンでの初演以降の大成功で各地で再演されたにも拘らずそこでの再演は戦後1948年9月占領下の放送局ホールにおけるクレムペラーの指揮を待たなければいけなかったとある。その後は1963年マゼール指揮、バルビローリ、メータ、1977年のアバド、1995年のこの曲での日本旅行などが続いているようだ。ラトル指揮では1991年、2010年と演奏されているらしいが、全く関心が無かったので知らない。
初日の「魔笛」の上演とは当然のことながらその規模も精度も異なるので、管弦楽団の能力の限界も一目瞭然で、シカゴなどの超一流オーケストラとはそのアンサムブルで比較の仕様が無く、音色やその独自性でヴィーンやドレスデンなどの美しさもなく、コンセルトヘボー管弦楽団のような見事さもない。それどころか嘗ての特徴だった発止と発止の演奏ぶりも影を潜めた。まさしくラトル卿の影響はこうしたところに出ているのだろう。前任者のアバドがそうしたものを一回限りのものとしてルツェルンで未だにやっているのと対照的なのである。
そこから生じるものは、本当に文化的な音楽芸術とはなにかと言うベルリンにある文化団体が担っているものなのである。なるほどフォンカラヤン時代のように経済成長に恩恵するようなショービジネス産業での大成功も世界的な名声というのも過去のものであるのは周知であり、交響楽団活動の終焉を文化的なパラグラムで実践しているのである。ラトル卿のプログラムで最も興味深いものは決して大編成の普通のプログラムではないのである。まさにそこがベルリンのフィルハーモニカ―が世界の先端を行く文化活動でありえることを示している。
具体的にその演奏実践を見ていくと、特に一楽章のハ短調のぎこぎこした悲劇の動機とホ長調の癒しの主題との直截な連結こそがこの交響曲の味噌と言っていいのかもしれない。お馴染みの演奏前のガイダンスによると、それに加えてコラールの克服の主題を含めて、その突発的な裏返しこそが、十九世紀に盛んになったメロドラマのレトリックの手法だというのである。つまり、最近の日本人が熱心と聞き及ぶ韓流ドラマのそれと同じなのだろう、既にその倒立する関係はそれ以前に予感として準備されるのは繰り返されるからであり ― まさしくTVの連続ドラマとしての米国のそれが確立した手法なのだろう ―、繰り返されるからこそ予測できるともいえるだろう。これをしてしつこく嫌味な手法とも受け取られるのだが、例えばアルテュール・シュニッツラーのそれが珍奇だとは思われなく、ヒッチコックの映画などもその手法は見事なのである。
つまりここでも指揮者マーラーの作曲家としての出世作であるこの交響曲は、メロドラマとして読み込めば決して複雑な構成ではなく、最も分かりやすい交響曲の一つであったから大成功した歴史があるのだとすることもなるほどとなるのだ ― その後の交響曲六番の連結などを考察する時にも、全く異なるこの交響曲を理解することは大変有意義だ。
ラトル卿の第一楽章における演奏解釈は、まさにそのコントラストと短縮などの基本技法の聞かせ方と、「ペザンテ」へと特に展開部終了時の最強音部への追い込みに全てが集中する。その点だけを、レナード・バーンスタインの最初の録音と比較すると、若き巨匠は既に動機や主題の提示から独自にメリハリのある明晰な奏法を要求していて、なるほどマーラーの曲に慣れていなかった聴衆には印象的に教育効果があったに違いないが、そうしたあまりにもの意味づけや動機付けが、逆に展開部などでの瞑想や解脱効果を強くしている一方、ここぞの「モルトぺザンテ」が効果を生まない。要するに、バーンスタインがほとんど演奏実践を超えていると言われるゆえんはまさにそこにあって、今回の演奏が示すような音楽構造的即ち叙述法の明晰な提出からは程遠いということになる。
それ以外にも、ベルリンの交響楽団の優秀な演奏能力を揃った清潔なグリッサンドが演奏効果としてだけでなく ― 個人個人の技術力は吹き口を上げたい奏法などの端々に効果として生きているのを聞き逃せない ―、二楽章のレントナーなどへの連結性を示していて、それを十分に表現できていないニューヨークでのバーンスタインとの解釈の差が明白になっている。そして殆どヴィーナーヴァルツァーのノイヤーコンツェルトをパロディー化しているラトル卿の解釈と ― 全曲を通してのテムポ設定は見事であり、フィルハーモニカ―の内声部の演奏は楽器配置云々以前に金輪際NHKの交響楽団などでは弾けない質のものである ―、どこまで行っても表現主義的な音楽を真面目に聞かせるバーンスタインの解釈とは全く異なるのである。どちらが現代的で知的なあり方かは断るまでもないだろう。
つまり、終楽章で大活躍する舞台裏の管弦楽団こそが劇場外劇場を表現する劇場表現そのもので殆どピーター・セラーズの演出を思い出す ― 来年は聖金曜日にヨハネス受難曲演出上演である。その終楽章の前半こそは、恐らくマーラーが作曲した最低の創作に違いないが、その凡庸さゆえに復活への大きな止揚がなされることに他ならない。形而下から形而上への、日常から非日常へのこの大きな止揚こそが真ん中の三つの楽章を挟んだこの交響曲の設計図そのものである。
最近は古楽合奏団の合唱に接することが多く、現代的なそれの実力をベルリンの放送合唱団が示したが、交響楽団以上の喝采を浴びたのは無理もなく、オペラでの出演から疲れているとはいいながらソリスト陣の非力はどうしようもない。しかし、コチェーナとかと称するチェコのアルト歌手がなぜこれほど重宝されているのか全く理解できなかった。会場も広すぎるのかもしれないが、オペラにおいては歌手陣は居ても居なくてもよいような裏方に徹していたが、せめてコンサートのソロぐらいは 聞 か せ て 欲しかった。
それ程に合唱の精緻さは復活への止揚への原動力となっており、指揮者の設計図読みのその通り、図星の成果を上げて、その始まりの下らなさゆえに会場の皆は大きく満足したのであった。主役は、歌手でも、立派なソロを奏でた管弦楽団でもなく、ラトル卿そのものだったのだ。
勿論そこで書き忘れてはならないのは三楽章のペルペトィゥムモビールで、なにも難しく考える必要なく、そのエッシャーの絵のような設計図が示されるだけで、その音色旋律や無限音階のような技巧によって輪廻する、この交響曲における位置づけが初めて理解されるのではないか。寧ろ、一楽章のそのメロドラマ形式が認識されることで、初めてこの楽章の意味が分かるのだ。そしてアタックで間髪を入れずに始まる四楽章こそが子供の死のイメージとしての「子供の角笛」であって、潜在的意識が定義される以前のまるで「かもめかもめ」の童歌のような深層が開かれることになる。勿論それが最終楽章で日常の夾雑な意識へと開かれるのだ。ここにマーラーの交響曲が20世紀の中盤になって本格的に意識され、バーンスタインの注釈によって一般化した背景と、21世紀の今最早そのような注釈以上に寧ろ初演当時の状況を追体験する形で歴史化した古典としての交響曲が演奏されるようになっている状況がある。その意味からも第八交響曲の演奏解釈に興味を示さなかったクラウディオ・アバドが如何に過去の音楽家であるかが分かるだろう。
聴衆の質は、スイスのマーラーの交響曲に感応するそれとは異なり、如何にもドイツらしいそれではあるのだが、車のナムバープレートが示すようなハイデカーの親類のような人たちの知的な理解や文化的な背景は可成りのもので、そうした演奏実践を十分に消化するだけの一種独特の優れたものであったように感じた。恐らくベルリンのそれとも違うのは少なくともこの復活の交響曲での反応で明らかだろう。
参照:
交響詩「彼岸の入り」 2006-10-05 | 音
ドイツ鯉に説教すると 2005-03-14 | 文学・思想
ゆく河の流れは絶えずして 2005-08-01 | 音
当日のプログラムにベルリンのフィルハーモニカ―とこの復活交響曲の関係が詳しく触れられているが、1895年11月のベルリンでの初演以降の大成功で各地で再演されたにも拘らずそこでの再演は戦後1948年9月占領下の放送局ホールにおけるクレムペラーの指揮を待たなければいけなかったとある。その後は1963年マゼール指揮、バルビローリ、メータ、1977年のアバド、1995年のこの曲での日本旅行などが続いているようだ。ラトル指揮では1991年、2010年と演奏されているらしいが、全く関心が無かったので知らない。
初日の「魔笛」の上演とは当然のことながらその規模も精度も異なるので、管弦楽団の能力の限界も一目瞭然で、シカゴなどの超一流オーケストラとはそのアンサムブルで比較の仕様が無く、音色やその独自性でヴィーンやドレスデンなどの美しさもなく、コンセルトヘボー管弦楽団のような見事さもない。それどころか嘗ての特徴だった発止と発止の演奏ぶりも影を潜めた。まさしくラトル卿の影響はこうしたところに出ているのだろう。前任者のアバドがそうしたものを一回限りのものとしてルツェルンで未だにやっているのと対照的なのである。
そこから生じるものは、本当に文化的な音楽芸術とはなにかと言うベルリンにある文化団体が担っているものなのである。なるほどフォンカラヤン時代のように経済成長に恩恵するようなショービジネス産業での大成功も世界的な名声というのも過去のものであるのは周知であり、交響楽団活動の終焉を文化的なパラグラムで実践しているのである。ラトル卿のプログラムで最も興味深いものは決して大編成の普通のプログラムではないのである。まさにそこがベルリンのフィルハーモニカ―が世界の先端を行く文化活動でありえることを示している。
具体的にその演奏実践を見ていくと、特に一楽章のハ短調のぎこぎこした悲劇の動機とホ長調の癒しの主題との直截な連結こそがこの交響曲の味噌と言っていいのかもしれない。お馴染みの演奏前のガイダンスによると、それに加えてコラールの克服の主題を含めて、その突発的な裏返しこそが、十九世紀に盛んになったメロドラマのレトリックの手法だというのである。つまり、最近の日本人が熱心と聞き及ぶ韓流ドラマのそれと同じなのだろう、既にその倒立する関係はそれ以前に予感として準備されるのは繰り返されるからであり ― まさしくTVの連続ドラマとしての米国のそれが確立した手法なのだろう ―、繰り返されるからこそ予測できるともいえるだろう。これをしてしつこく嫌味な手法とも受け取られるのだが、例えばアルテュール・シュニッツラーのそれが珍奇だとは思われなく、ヒッチコックの映画などもその手法は見事なのである。
つまりここでも指揮者マーラーの作曲家としての出世作であるこの交響曲は、メロドラマとして読み込めば決して複雑な構成ではなく、最も分かりやすい交響曲の一つであったから大成功した歴史があるのだとすることもなるほどとなるのだ ― その後の交響曲六番の連結などを考察する時にも、全く異なるこの交響曲を理解することは大変有意義だ。
ラトル卿の第一楽章における演奏解釈は、まさにそのコントラストと短縮などの基本技法の聞かせ方と、「ペザンテ」へと特に展開部終了時の最強音部への追い込みに全てが集中する。その点だけを、レナード・バーンスタインの最初の録音と比較すると、若き巨匠は既に動機や主題の提示から独自にメリハリのある明晰な奏法を要求していて、なるほどマーラーの曲に慣れていなかった聴衆には印象的に教育効果があったに違いないが、そうしたあまりにもの意味づけや動機付けが、逆に展開部などでの瞑想や解脱効果を強くしている一方、ここぞの「モルトぺザンテ」が効果を生まない。要するに、バーンスタインがほとんど演奏実践を超えていると言われるゆえんはまさにそこにあって、今回の演奏が示すような音楽構造的即ち叙述法の明晰な提出からは程遠いということになる。
それ以外にも、ベルリンの交響楽団の優秀な演奏能力を揃った清潔なグリッサンドが演奏効果としてだけでなく ― 個人個人の技術力は吹き口を上げたい奏法などの端々に効果として生きているのを聞き逃せない ―、二楽章のレントナーなどへの連結性を示していて、それを十分に表現できていないニューヨークでのバーンスタインとの解釈の差が明白になっている。そして殆どヴィーナーヴァルツァーのノイヤーコンツェルトをパロディー化しているラトル卿の解釈と ― 全曲を通してのテムポ設定は見事であり、フィルハーモニカ―の内声部の演奏は楽器配置云々以前に金輪際NHKの交響楽団などでは弾けない質のものである ―、どこまで行っても表現主義的な音楽を真面目に聞かせるバーンスタインの解釈とは全く異なるのである。どちらが現代的で知的なあり方かは断るまでもないだろう。
つまり、終楽章で大活躍する舞台裏の管弦楽団こそが劇場外劇場を表現する劇場表現そのもので殆どピーター・セラーズの演出を思い出す ― 来年は聖金曜日にヨハネス受難曲演出上演である。その終楽章の前半こそは、恐らくマーラーが作曲した最低の創作に違いないが、その凡庸さゆえに復活への大きな止揚がなされることに他ならない。形而下から形而上への、日常から非日常へのこの大きな止揚こそが真ん中の三つの楽章を挟んだこの交響曲の設計図そのものである。
最近は古楽合奏団の合唱に接することが多く、現代的なそれの実力をベルリンの放送合唱団が示したが、交響楽団以上の喝采を浴びたのは無理もなく、オペラでの出演から疲れているとはいいながらソリスト陣の非力はどうしようもない。しかし、コチェーナとかと称するチェコのアルト歌手がなぜこれほど重宝されているのか全く理解できなかった。会場も広すぎるのかもしれないが、オペラにおいては歌手陣は居ても居なくてもよいような裏方に徹していたが、せめてコンサートのソロぐらいは 聞 か せ て 欲しかった。
それ程に合唱の精緻さは復活への止揚への原動力となっており、指揮者の設計図読みのその通り、図星の成果を上げて、その始まりの下らなさゆえに会場の皆は大きく満足したのであった。主役は、歌手でも、立派なソロを奏でた管弦楽団でもなく、ラトル卿そのものだったのだ。
勿論そこで書き忘れてはならないのは三楽章のペルペトィゥムモビールで、なにも難しく考える必要なく、そのエッシャーの絵のような設計図が示されるだけで、その音色旋律や無限音階のような技巧によって輪廻する、この交響曲における位置づけが初めて理解されるのではないか。寧ろ、一楽章のそのメロドラマ形式が認識されることで、初めてこの楽章の意味が分かるのだ。そしてアタックで間髪を入れずに始まる四楽章こそが子供の死のイメージとしての「子供の角笛」であって、潜在的意識が定義される以前のまるで「かもめかもめ」の童歌のような深層が開かれることになる。勿論それが最終楽章で日常の夾雑な意識へと開かれるのだ。ここにマーラーの交響曲が20世紀の中盤になって本格的に意識され、バーンスタインの注釈によって一般化した背景と、21世紀の今最早そのような注釈以上に寧ろ初演当時の状況を追体験する形で歴史化した古典としての交響曲が演奏されるようになっている状況がある。その意味からも第八交響曲の演奏解釈に興味を示さなかったクラウディオ・アバドが如何に過去の音楽家であるかが分かるだろう。
聴衆の質は、スイスのマーラーの交響曲に感応するそれとは異なり、如何にもドイツらしいそれではあるのだが、車のナムバープレートが示すようなハイデカーの親類のような人たちの知的な理解や文化的な背景は可成りのもので、そうした演奏実践を十分に消化するだけの一種独特の優れたものであったように感じた。恐らくベルリンのそれとも違うのは少なくともこの復活の交響曲での反応で明らかだろう。
参照:
交響詩「彼岸の入り」 2006-10-05 | 音
ドイツ鯉に説教すると 2005-03-14 | 文学・思想
ゆく河の流れは絶えずして 2005-08-01 | 音