ミュンヘンの新しいコンサートホールの件が話題となった。落ち着き先が東駅で、概ねの評判は悪い。あまりにも文化的な香りがないところだからである。新聞は書く、なるほど新たな店などは出来ても、ダルマイールから劇場へといった環境は生じないと。それならば、完成予想図のようなポストモダーンな建築が出来たとしても、それだけの新風も起こさないとみる見解が正しいだろう。そもそも時期が悪い。そのホールを主に使うのがバイエルン放送協会の交響楽団であるが、一体その主な聴衆はどうした人々なのだろう。学生も少なくはないだろうが大半は爺さん婆さんに違いない。そのような人達が将来を担う文化的な環境を担う訳でもない。
古い資料を片付けている時に、修復されるガスタイクのホールに仕事などを兼ねて何回か通っていたのを思い出した。あの場所でミュンヘンの環状の外側にあって、車で出入りするにしても若干不便さを感じていた。なるほど西ベルリンのフィルハーモニーも壁際のとんでもないところにあったが、そのお蔭で壁が無くなっても建設の予定通り統一の象徴的な建造物になった。今回新ホールがそうした場所になるとは思われなく、決定してから逆に予定よりも早く改修完了となるガスタイクへの期待が高まったようだ。
芸術的な価値はホールのハードとソフトの中身に依るが、やはり聴衆がそれを形作っていくので、そのホールの環境も重要なのである。ミュンヘンはベルリン以上に観光客が訪れる町であるが、コンサートに訪れる観光客がどれぐらいいるのだろうか?ミュンヘンの交響楽団に有名指揮者が居た頃にはそれだけの観光収入もあったのかもしれない。だから、今回の東駅周辺にも美術館などの文化施設の有無が言及される。それは、勿論定期会員などの地元の人にとってもさらに重要なことだろう。地元の人にとっても、やはりそこへ態々出向くことに何らかの意味づけ、動機づけが必要になるので、環境が重要視されるのは当然である。
ミュンヘンは、ハムブルクなどとは違って経済的には困らない。それでもなかなか予定されていた中心地のオデオンプラッツにホールが出来なかったのは、緑などの環境が重視されたのと同時に、管弦楽団活動というものが文化芸術的に中途半端な位置づけになってきたことがあるに違いない。交響管弦楽団活動を音楽の重要な位置に鎮座させる専門家が殆ど居ないからであり、そうした聴衆の声も大きな声とはならないからであろう。それでもなぜかパリには大きなコンサートホールなどが新たに出来上がるのは一極集中の弊害でしかない様にも思われる。反対に、バーデン・バーデンなどの観光だけの街になると、平時の聴衆の数が少ないので、それなりの祝祭などで観光客を招き入れないと厳しく、復活祭週間が開かれるまでの十五年ほどはなかなか注目を集められなかった現実があるのだ。
参照:
ヒトラー革命と総ミュンヘン 2015-11-11 | 暦
音楽ジャーナルの高忠実度 2015-11-24 | マスメディア批評
パリ、バーデンバーデン楽旅 2015-10-18 | 文化一般
古い資料を片付けている時に、修復されるガスタイクのホールに仕事などを兼ねて何回か通っていたのを思い出した。あの場所でミュンヘンの環状の外側にあって、車で出入りするにしても若干不便さを感じていた。なるほど西ベルリンのフィルハーモニーも壁際のとんでもないところにあったが、そのお蔭で壁が無くなっても建設の予定通り統一の象徴的な建造物になった。今回新ホールがそうした場所になるとは思われなく、決定してから逆に予定よりも早く改修完了となるガスタイクへの期待が高まったようだ。
芸術的な価値はホールのハードとソフトの中身に依るが、やはり聴衆がそれを形作っていくので、そのホールの環境も重要なのである。ミュンヘンはベルリン以上に観光客が訪れる町であるが、コンサートに訪れる観光客がどれぐらいいるのだろうか?ミュンヘンの交響楽団に有名指揮者が居た頃にはそれだけの観光収入もあったのかもしれない。だから、今回の東駅周辺にも美術館などの文化施設の有無が言及される。それは、勿論定期会員などの地元の人にとってもさらに重要なことだろう。地元の人にとっても、やはりそこへ態々出向くことに何らかの意味づけ、動機づけが必要になるので、環境が重要視されるのは当然である。
ミュンヘンは、ハムブルクなどとは違って経済的には困らない。それでもなかなか予定されていた中心地のオデオンプラッツにホールが出来なかったのは、緑などの環境が重視されたのと同時に、管弦楽団活動というものが文化芸術的に中途半端な位置づけになってきたことがあるに違いない。交響管弦楽団活動を音楽の重要な位置に鎮座させる専門家が殆ど居ないからであり、そうした聴衆の声も大きな声とはならないからであろう。それでもなぜかパリには大きなコンサートホールなどが新たに出来上がるのは一極集中の弊害でしかない様にも思われる。反対に、バーデン・バーデンなどの観光だけの街になると、平時の聴衆の数が少ないので、それなりの祝祭などで観光客を招き入れないと厳しく、復活祭週間が開かれるまでの十五年ほどはなかなか注目を集められなかった現実があるのだ。
参照:
ヒトラー革命と総ミュンヘン 2015-11-11 | 暦
音楽ジャーナルの高忠実度 2015-11-24 | マスメディア批評
パリ、バーデンバーデン楽旅 2015-10-18 | 文化一般