逝去したクルト・マズーアの追悼記事が文化欄にある。1989年10月9日のライプツィッヒの月曜日デモのについても詳しい。それによると、当局の方は万が一の事態に備えて戦車の配置も考えていたようで、地元の名士であるこの指揮者が非暴力を双方に訴えたとある。それでも不慮の場合に備えて、当夜の演奏会でブラームスの交響曲二番の楽譜の下にはエロイカ交響曲の葬送行進曲を準備していたとある。その一連の動きをして、大統領候補に推されたというのだ。
青木組のコンサートホール建造に関して、ホーネッカー失脚後にも感謝の意を示すなどと誤解を招くこともあったようだが、スターリン死後にコーミッシェオパーで演奏禁止されていた「春の祭典」を東独初演して、支配人フェルゼンシュタインと喧嘩して辞任するまで活躍していたとある。電気店の息子として生まれ、ヒットラーユーゲントのグライダー隊に志願したり、西部戦線で死にかけたりの戦争体験者であった。
初めて聞くのは1972年の乗用車の大事故で同乗していた二人の目の奥さんを亡くしており、殆ど廃人同様になっていたところを、強く乞われて再びカムバックしたこと、そして2012年にパーキンソンを発病してから再び指揮台に戻っていることなど、そうしたエンターティメントに興味がないと知らなかったもしくはすっかり忘れていたことが書いてある。
自宅でHiFi装置を鳴らしていても、生でオペラ劇場の響きを確認していても、最近は依然と比較できないほどサウンドに敏感になっている。理由は分からないのだが、耳の検査をネットでしているように、視力と同じく、なにか知らないうちに霞んできているのではないかというような漠然とした不安があるのが、逆に聴覚を敏感にしてきているのだろうか。
NHKは、クリスマスイヴから今年のバイロイトでの「ニーベルンゲンの指輪」の放送録音を放送するようだ。21時から始まるようなので昔のように長いものは終わるのが2時前になる。日本の冬は暖房が不自由なので、夜更けは寒いか、起きていられない。飛び飛びで放送されるのをネット録音するのも大変だったが、四日続けてとなるとこれまたなかなか難しいだろう。それでもこの放送録音に、今現在の管弦楽演奏の最先端の響きが聞ける筈だ。
マスの響きと同時にデテールが響くということで、祝祭劇場の独特のアコースティックの特性を計算した管弦楽演奏が展開されている。そうしたホールトーンまでをコントロールする管弦楽の鳴らせ方は、二十世紀の後半のライヴエレクトロニクスの作曲などを音響理論的にも意識しないと、なかなかそこまで辿り着けないものである。
バイロイトには蓋のついた奈落の特性があり、またミュンヘンなどでは従来の歌劇場の音響特性がある訳で、そこの立見席の後ろに直接反射する響きの割合と前からの響きを峻別しながら聞いているとその配分などが管弦楽演奏の音出しにフィードバックされているのが理解できるのである。またリヒャルト・ヴァークナーの後期の楽劇の本質的な響きやその効果を学ぼうと思うならば、聞き逃せないだろう。
管弦楽団の響きの変遷は、作曲技法とも深く結びついていることは周知の事実であるが、それがレパートリーの変化となって、更にどのような経過を辿って、当代の響きとなっていくかはとても興味深い研究対象であろう。そしてこの世紀の前半を体現する響きとなっているキリル・ペトレンコ指揮の管弦楽の一端がこうして響き亘るのである。
参照:
ペトレンコの「フクシマ禍」 2015-12-21 | 音
待降節景気の街並み 2015-12-20 | 暦
お話にならない東京の文化 2013-02-26 | 文化一般
小恥ずかしい音楽劇仕分け法 2010-06-06 | 音
二十世紀中盤の音響化 2015-02-07 | 音
青木組のコンサートホール建造に関して、ホーネッカー失脚後にも感謝の意を示すなどと誤解を招くこともあったようだが、スターリン死後にコーミッシェオパーで演奏禁止されていた「春の祭典」を東独初演して、支配人フェルゼンシュタインと喧嘩して辞任するまで活躍していたとある。電気店の息子として生まれ、ヒットラーユーゲントのグライダー隊に志願したり、西部戦線で死にかけたりの戦争体験者であった。
初めて聞くのは1972年の乗用車の大事故で同乗していた二人の目の奥さんを亡くしており、殆ど廃人同様になっていたところを、強く乞われて再びカムバックしたこと、そして2012年にパーキンソンを発病してから再び指揮台に戻っていることなど、そうしたエンターティメントに興味がないと知らなかったもしくはすっかり忘れていたことが書いてある。
自宅でHiFi装置を鳴らしていても、生でオペラ劇場の響きを確認していても、最近は依然と比較できないほどサウンドに敏感になっている。理由は分からないのだが、耳の検査をネットでしているように、視力と同じく、なにか知らないうちに霞んできているのではないかというような漠然とした不安があるのが、逆に聴覚を敏感にしてきているのだろうか。
NHKは、クリスマスイヴから今年のバイロイトでの「ニーベルンゲンの指輪」の放送録音を放送するようだ。21時から始まるようなので昔のように長いものは終わるのが2時前になる。日本の冬は暖房が不自由なので、夜更けは寒いか、起きていられない。飛び飛びで放送されるのをネット録音するのも大変だったが、四日続けてとなるとこれまたなかなか難しいだろう。それでもこの放送録音に、今現在の管弦楽演奏の最先端の響きが聞ける筈だ。
マスの響きと同時にデテールが響くということで、祝祭劇場の独特のアコースティックの特性を計算した管弦楽演奏が展開されている。そうしたホールトーンまでをコントロールする管弦楽の鳴らせ方は、二十世紀の後半のライヴエレクトロニクスの作曲などを音響理論的にも意識しないと、なかなかそこまで辿り着けないものである。
バイロイトには蓋のついた奈落の特性があり、またミュンヘンなどでは従来の歌劇場の音響特性がある訳で、そこの立見席の後ろに直接反射する響きの割合と前からの響きを峻別しながら聞いているとその配分などが管弦楽演奏の音出しにフィードバックされているのが理解できるのである。またリヒャルト・ヴァークナーの後期の楽劇の本質的な響きやその効果を学ぼうと思うならば、聞き逃せないだろう。
管弦楽団の響きの変遷は、作曲技法とも深く結びついていることは周知の事実であるが、それがレパートリーの変化となって、更にどのような経過を辿って、当代の響きとなっていくかはとても興味深い研究対象であろう。そしてこの世紀の前半を体現する響きとなっているキリル・ペトレンコ指揮の管弦楽の一端がこうして響き亘るのである。
参照:
ペトレンコの「フクシマ禍」 2015-12-21 | 音
待降節景気の街並み 2015-12-20 | 暦
お話にならない東京の文化 2013-02-26 | 文化一般
小恥ずかしい音楽劇仕分け法 2010-06-06 | 音
二十世紀中盤の音響化 2015-02-07 | 音