Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

1955年のカラヤン特集号

2019-11-02 | 文化一般
1955年のシュピーゲル誌を偶々目にした。ストコフスキーとベルリナーフィルハーモニカーの繋がりを知りたくて検索したら出て来た。3月16日号はカラヤン特集の装いでフロント写真はカラヤン。これを読むと中々興味深い。

前年11月30日のバーデンバーデンの丘の上でのフルトヴェングラーの急逝を受けて、翌年のニューヨーク公演が課題になっていたとある。二月に遠征のための最初の練習が終わって肯定的な公式発表があったらしい。

死後、協力を申し出たのが両長老のサービーチャムとブルノ・ヴァルターだったらしい。しかし管弦楽団はアンサムブル上の規律を優先させたようだ。

カラヤン自体は既にロンドンで録音も盛んにしていて、アメリカ市場でも知名度があったのが先ずはツアー指揮者選定の重要な要素でもあったようだ。その時ミラノスカラ座で「カルメン」と「ヴァルキューレ」を制作中だったようだ。

ベルリンが考えていたのは、フルトヴェングラー指揮で予定されていたツアーにて、当時のミトロプーロス指揮ニューヨークフィル、ミュンヒ指揮ボストン交響楽団、オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団などと互角な演奏が可能かどうかという事であったようだ。そして47歳の指揮者はアメリカに行ったことが無かった。

その結果、ニューヨークではカラヤンの前歴からもナチとして反対運動がおこりつつも、音楽的には成功したとある。ニュヨークタイムズのタウブマンが世界最高と評する一方、ヴィーナーフィルハーモニカーやコンセルトヘボーとまたビッグファイヴと比較して特に抜きんでている訳ではないとして聴衆の熱狂ぶりをいぶかぶる。

へラルドトレィビュンのヘンリ-ラングは、ジャズで鍛えられているアメリカのそれに比較すると管が弱いとしている。カラヤンの特徴として自らの力で急成長させたヴィーナーシムフォニカーの言によるカラヤンの強く長いボーイングがあるように、現在でも特徴とされているベルリンの弦が逆にここで浮かび上がる。

またカラヤンの指導方法も当時の民主主義への波からの話題にも成っていると同時に、候補に挙がりながら脱落したチェリビダッケと同じように南国の血のテムペラメントが心配されていて、その冬にはスキーでシュルンツに籠っていたことやサンクトアントンに別荘を持って、エンゲルベルクにも住んでいたことが話題となっている。

しかし選定を決定的にしたのはどうもアメリカでのナチ反対運動で同じような過去を持つベルリナーフィルハーモニカーとカラヤンが一体化を感じて攣るんでしまったという事の様である。

バイロイトで楽器配置を変えての試みをしたというカラヤン指揮のその当時のベルリナーフィルハーモニカ―の音響なども考えるときに色々と興味深いが、その管弦楽が明らかにフルトヴェングラーの楽器であったことと、その音楽の喜びがあふれていたところにメカニックなものが持ち込まれたという事のようだ。フィルハーモニアの録音の様に徹底して磨かれようとしていたことも間違いない。

現在に眼をやるとラトル指揮の最終時期は本人も語るようにカラヤンの亡霊に脅えていた訳であるが、カラヤンがやろうとしていたことと似てきていたことは認めざるを得ない。来年ぐらいにペトレンコ指揮の初アメリカツアーがあるかもしれないが、その点からすれば精度を高めながらも全く反対方向へと向かっていることがアメリカでも認知されるだろう。



参照:
音楽劇場化へと集中 2019-10-19 | 文化一般
とても参考になるLP 2019-10-17 | 音
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