週末に眼を通しておこうと思った文章があった。どこにも見つからなく内容も分からなくなった。たいして急ぐものでもなかったと思う。それよりも幾つか片付けたいことがある。
歯医者の予約は月早々に取ったので少なくとも清掃と観察だけはして貰える。最も気になっている事であるが、中々思い切りが付かない。健康に良くないことは分かっている。歯を何とかすれば眼鏡も進められる。
ノートブックPCも左の奥のキーが剥がれてきた。あまり使わないキーなので構わない。そもそもキーボードは別なものを使っているので関係が無い。しかし剥がれてなくなってしまうと嫌である。次期購入もまだ進んでいない。車の修理もあったので予算の調整もある。年内に処理したいところだ。
気になっていて見落としていたのが車の保険である。この30日までに解約しなければいけなかったのを見つけて、急いで車両保険を解約の通知をした。僅か年380ユーロであるが、廃車同様の車に保険を掛けておいても全損しても殆ど金が下りない。なるほど不可抗力の事故や飛び石のガラスは破損などには金が出るが大きな罅が入ることもあまり無いだろうと思う。先日もアウトバーンで猪か鹿を轢いたが既に平になっていた。金を払って金を取られないよりも精神衛生的に先ずは払わない方が得だと計算した。次期新車を購入した時も一年感覚が空くだけでそこから始められるので、割引率は変わらない。そもそも掛け金が車両価格で倍ぐらいになって仕舞うだろう。
それ以外には12月のオペラとコンサートの準備もしなければいけない。フォーレ作曲「ペネロぺ」とショスタコーヴィッチ11番、プロコフィエフのピアノ協奏曲三番は昨年の復習をすればよい。もう一つはチャイコフスキーも「白雪姫」である。それが終わると来年の準備になるが、まだ鬼が笑う。
読み忘れていたのはスヴァロフスキー教授の指揮者時代の話しで、ブダペスト生まれの大工業家の息子らしいが、最初からナチに睨まれていて、クレメンス・クラウス時の歌劇場にもシュトラウスの推薦状が付いていたが、ゲーリングの手先のティーテンに契約延長を阻止されて、アンシュルース以降はスイスに活路見出したとある。チューリッヒの劇場では奥さんがユダヤ人のフェルゼンシュタインとの協調作業が進んで、トンハーレの近所のベートーヴェン通りのユダヤ人マルクスの所に居を構えていたとある。その関係で後に英国のスパイ活動をしていたようだ。そこにはトーマス・マンやブレヒトなどが訪れていたという。背景には戦時下で給料が減らされて喰うに食わずだった困窮があったようだ。
しかしスイス当局へのナチの影響で契約が延長出来ずに、先ずは息子をアメリカに逃して、自らはカプリッチョの台本を作りを手伝だったリヒャルト・シュトラウスのスタウンゼーの別荘に隠れていたようだ。その息子が進駐軍としてシュトラウスのもとにやって来たという。だから戦後は戦中の事には口を瞑んでいたとされる。
週末に恋文を書こうと思ったが、為せなかった。心理的に余裕が無いと「創作」まで至らない。待降節までに渡せるだろうか?原稿を書いてから手書きするにも時間が掛かる。大変なことだ。一体私の死後に幾つの恋文が発見されるだろうか。
参照:
テヘランからの恋文 2006-09-15 | 文学・思想
朝から青ざめる日々 2014-05-04 | 生活
歯医者の予約は月早々に取ったので少なくとも清掃と観察だけはして貰える。最も気になっている事であるが、中々思い切りが付かない。健康に良くないことは分かっている。歯を何とかすれば眼鏡も進められる。
ノートブックPCも左の奥のキーが剥がれてきた。あまり使わないキーなので構わない。そもそもキーボードは別なものを使っているので関係が無い。しかし剥がれてなくなってしまうと嫌である。次期購入もまだ進んでいない。車の修理もあったので予算の調整もある。年内に処理したいところだ。
気になっていて見落としていたのが車の保険である。この30日までに解約しなければいけなかったのを見つけて、急いで車両保険を解約の通知をした。僅か年380ユーロであるが、廃車同様の車に保険を掛けておいても全損しても殆ど金が下りない。なるほど不可抗力の事故や飛び石のガラスは破損などには金が出るが大きな罅が入ることもあまり無いだろうと思う。先日もアウトバーンで猪か鹿を轢いたが既に平になっていた。金を払って金を取られないよりも精神衛生的に先ずは払わない方が得だと計算した。次期新車を購入した時も一年感覚が空くだけでそこから始められるので、割引率は変わらない。そもそも掛け金が車両価格で倍ぐらいになって仕舞うだろう。
それ以外には12月のオペラとコンサートの準備もしなければいけない。フォーレ作曲「ペネロぺ」とショスタコーヴィッチ11番、プロコフィエフのピアノ協奏曲三番は昨年の復習をすればよい。もう一つはチャイコフスキーも「白雪姫」である。それが終わると来年の準備になるが、まだ鬼が笑う。
読み忘れていたのはスヴァロフスキー教授の指揮者時代の話しで、ブダペスト生まれの大工業家の息子らしいが、最初からナチに睨まれていて、クレメンス・クラウス時の歌劇場にもシュトラウスの推薦状が付いていたが、ゲーリングの手先のティーテンに契約延長を阻止されて、アンシュルース以降はスイスに活路見出したとある。チューリッヒの劇場では奥さんがユダヤ人のフェルゼンシュタインとの協調作業が進んで、トンハーレの近所のベートーヴェン通りのユダヤ人マルクスの所に居を構えていたとある。その関係で後に英国のスパイ活動をしていたようだ。そこにはトーマス・マンやブレヒトなどが訪れていたという。背景には戦時下で給料が減らされて喰うに食わずだった困窮があったようだ。
しかしスイス当局へのナチの影響で契約が延長出来ずに、先ずは息子をアメリカに逃して、自らはカプリッチョの台本を作りを手伝だったリヒャルト・シュトラウスのスタウンゼーの別荘に隠れていたようだ。その息子が進駐軍としてシュトラウスのもとにやって来たという。だから戦後は戦中の事には口を瞑んでいたとされる。
週末に恋文を書こうと思ったが、為せなかった。心理的に余裕が無いと「創作」まで至らない。待降節までに渡せるだろうか?原稿を書いてから手書きするにも時間が掛かる。大変なことだ。一体私の死後に幾つの恋文が発見されるだろうか。
参照:
テヘランからの恋文 2006-09-15 | 文学・思想
朝から青ざめる日々 2014-05-04 | 生活