Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

「死の街」二幕へと進む

2019-11-12 | 
就寝前に頭が痛かった。暖房を付けたまま就寝した。ヒーターも夕方ごろからあまり効いていなかったからだ。流石に朝のもやもや感があって、それでも何とかパン屋へと向かった。ヤッケを着ないでも耐えられたが、バンダナもって手袋して出かけた。氷点下ではないのでショーツ一丁で走れた。車の走行感もまだタイヤが固くなっている感じではないので、何一つ不都合はない。

問題は水曜日金曜日の霜だけだ。予報よりも南西ドイツからチューリッヒに掛けては晴れそうで放射冷却のみで昼間は摂氏七度まで気温が上昇しそうなので、乾いている限り帰宅まで問題が無いであろう。やはり危惧されるのはこの水木でのミュンヘン・カールツルーヘ間の降雪である。まだ降雪地域は北から押さえられていてアウトバーン8号線の南にある。そしてミュンヘン・アウグスブルク間がどれぐらい風が吹くかぐらいだ。本格的な降雪が無い限り、金曜日に晴天で気温が上がるのでなんとかなるだろうか。

「死の街」第二幕へと進んだ。相変わらずの作曲であるがどんどんと手が込んでくる。そして一幕と同じように此処はと興味深いところが出てくる。前半はプッチーニの様な趣ながらメロディー以外の音色で勝負しているようなところがあって、とことん書き込んでくる。しかし、装飾的な奏法も多くて、ミュンヘンの座付楽団もペトレンコに大分絞られていると思う。兎に角準備万端で挑まないと直ぐスカラ座の様にぐちゃぐちゃになって仕舞う。

しかし二幕のフィナーレへのデュオが素晴らしい。フォークトも最近は太い声でとても激しい表現で歌うが、アスミク・グリゴーリンアンが本当に素晴らしい。ドイツ語の歌唱としては歌詞の明瞭さなど物足りないのだが、歌自体は圧倒的で、デュオでも管弦楽などどうでもよいような存在感がある。どれほど管弦楽が大きく鳴っても通る声の表現は表に立っている。

これほどのマリエッタを聴いてしまうと来週のマルリス・ペーターセンの初日がとても辛く思う。勿論ドイツ語の発声や技や役作りで魅せ聴かせてくれることは分かっているのだが、こうした歌唱の前には致し方が無い。如何に管弦楽が高度な音楽をするかで、カウフマンの歌も決まってくるだろう。

それにしてもグリゴーリアンの歌を聴くと、通常のヴァークナー歌手の歌などは聴けなくなる。ペトレンコがチャイコフスキーだけでなくヴァークナーを振るときも彼女に歌って欲しい。声の許す限りなんでも歌って欲しい。これほどの大歌手は他に知らない。

さてもう一度シューベルト作曲大ハ長調交響曲を勉強しておこう。オペラのそれも大掛かりな手書き楽譜を見ているとつい居眠りしてしまう。その点、繰り返しの細かなミニマル変化でこれまた大変だ。

早朝にあれだけ体を動かしておくと、流石に頭痛は取れてスッキリした。今晩は先に部屋を温めておいてヒーターを切って深く死んだように眠れるだろうか。



参照:
来週への準備をする 2019-11-10 | 生活
メディア賞ならずショー 2019-10-18 | マスメディア批評

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