Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

スターリングラード交響曲

2020-11-15 | 
懸案のムラヴィンスキー指揮ショスタコーヴィッチ交響曲八番を流した。最も難解な曲だと思うが、LPを購入した時からその演奏の説得力に打たれていた。一体それのどこがという事で今回楽譜も手元にあるので流してみる価値があった。
Шостакович, Симфония № 8 - Мравински


半分ほどの演奏時間の続く第一楽章では、五番交響曲風の主題も更に彫塑されていて、そこからして意味合いが異なっている。続く主題も広がりがあるのは、細やかに演奏されているからで、ヤンソンス指揮の大雑把に流すようなものとの正反対にある。しかしそこで何か具体的なイメージを固定するようなこともないのがこの指揮者の芸術で飽く迄も音楽的に運ぶのだが、ピッコロなどが強奏されていて、ネオエクスプレッショニズムというか殆どポストモダーンな鳴り方である。

ムラヴィンスキー指揮の端正なその音楽性を知っている者ならば、嘲笑的な楽想もとても真剣に響き渡る。それはチャイコフスキーの「悲愴」などにおいてもそうであって、二楽章のサロンの笑い声もそのようには響かない。ペトレンコ指揮の瀟洒さはそこにはない。

第四楽章のトラムペットもサーカスというよりも明らかにミリタリーで、レニングラード交響曲の延長というのがよく分かる。

しかし注目すべきは矢張り四楽章のパッサカリアではないかと思う。丁寧に音楽的に演奏されていて、勿論スターリン時代に求められたプログラム音楽的なものとはかなり遠い。ここは今回のペトレンコ指揮と比較してみる価値はあると思う。

当然のことながら中間楽章での表現の精査がペトレンコ指揮では終楽章のフィナーレで活きることになるのだが、ムラヴィンスキー指揮ではそこが大分異なる。キリル・ペトレンコも言及したショスタコーヴィッチの八番の終楽章の難しさというのはまさにそこにあるだろう。

手元に同様に作曲家と後年協調作業のあった指揮者コンドラシンのLPがあることを思い出した。これも是非もう一度聴いてみないといけないと思っている。

天気が良くなって、気温が16度まで上がるとワイン街道も急に賑やかになる。火曜日からのオーストリアの様に外出禁止にはなっていないので、行楽は許されるのだが、多くの人が接触していると思う。来週の中間集計には数字としては表れないかもしれないが、ドイツの感染は上昇が鈍化しているだけで、反転はしていない。オーストリアのような酷い状況が避けられているだけである。ここ暫くの対応がとても重要なことはどれほどの人が理解しているか甚だ怪しい。昨日職人の親仁などの話しを聞いていて、其処を別けているものが何か良く分かった気がする。



参照:
隔離と田園性の叙述法 2020-11-14 | 文化一般
記憶の底から呼び起こす 2019-10-30 | 雑感
コメント
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