Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

隔離と田園性の叙述法

2020-11-14 | 文化一般
ショスタコーヴィッチの交響曲八番を流した。再放送も流した。キリル・ペトレンコがインタヴューでアウトラインについて語っていた。九番があまりに上手く行ったので八番を取り上げたというのは我々皆同じ気持ちだと思う。但し、少し想定と異なっていたのは、ソヴィエト時代には殆ど演奏されることが無く、馴染んでいた曲では無かったいう事で、先頃ヤンソンス指揮の全集について言及したことと全く一致している。要するにソヴィエトでは表面的にしかショスタコーヴィッチは扱われなくて、そうあるべきだったという仮定を支持する。

この曲が、七番のレニングラードとは異なりとてもインティームなものを扱っているというのも、大きな鍵である。それゆえにか、マーラーよりもブルックナーとの親近性について語っていて、まさしく動機の扱いなどはその通りであり、終曲の「隔離と田園性」としても、そしてコロナのロックアウトについての示唆としていた。

ここまで語れば、それ以前から準備していたように若しくは楽譜の冒頭に大書きされているように、献呈された指揮者ムラヴィンスキーの演奏を先に語らなければいけない。要するにその初演者の録音はやはり基準になるという事も間違いない。

再放送前にムラヴィンスキー指揮の演奏を確認しようと思っていたが、時間が無くてならなかった。LPも所持していて、又ネットには練習情景がある。それを確認したいのだ。時間が無くなったのは、朝一っ走りして下りて来て、肉屋に寄って戻ってくると、車に邪魔されて車庫入れが出来なかった。職人が先日亡くなった爺さんのアパートを直しているようで、ロシア語訛りの親方が寄って来て、暫く待ってくれという。

その車の前に付けてしばらく置いておいた。呼び鈴を鳴らしたりしたようだが、放っておいて、朝食終えてから声を掛けた。マスクもせずに近づいてくるので出来るだけ避けようとどこかに行くのを待っていたら、近寄って来る。そこから30分ほど、こちらガレージの中に逃げ、入り口で咳をしながら、こちらに向かって語り続けていた。全くコロナなどは頭にないようで、車庫中がコロナのウイルスだらけになって、シャワーを浴びたこちらの身体にどっぷりと浴びせかけたと思う。とんでもない親仁だ。

30年以上ドイツにいて、言葉を勉強する方法を編み出したと自慢気に語っていた。ネットで調べた数字を出してのセールスである。結局何が言いたかったかというと、世界で訳されている様々な聖書を読むことだというのである。そこには真実があると語っていた。

そもそもカザフタン出身で、反プーティンで、東方教会とも関係が無いところで国教会の聖書から初めて色々と行きついた様だ。少し間違えばアメリカの移民の右翼のようにもなる。実際に英語もそこに委譲した親戚との繋がりもあってという事らしい。更にそもそもの生まれからトルコ語も勉強しているようだ。確かにあの地域で強い言葉だろう。

しかし地元は、ヴォルガドイツに繋がっていて独語を習うという。確かに多言語的だが、少なくとも彼のドイツ語を聞いていると少し違うなと思った。語学が好きだというのだが、何か違うなと感じたのはやはり語学教育の質なのだろう。恐らく独学で学んだようだが、可成り語彙に偏重しているようで、構文とか文法とかいうよりも、叙述法まで至っていないので、とても沢山出てくる数字ほどには説得力が無い。文法的な用語も認識していない様で、抽象的な把握へとは至らないのだろう。

キリル・ペトレンコも言及したショスタコーヴィッチの八番の終楽章の難しさというのはまさにそこにあるだろう。



参照:
言い得て妙な表現方法 2020-11-13 | 雑感
聖像破壊者と伝統回帰者 2020-11-02 | 文化一般

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