Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

聖像破壊者と伝統回帰者

2020-11-02 | 文化一般
バーデンバーデンからマガジンが届いた。投函した時には既にロックダウンが決まっていた筈だ。準備をしていたので其の侭出したのだろう。あまりにも辛い内容だが記録に残るマガジンである。

土曜日に生中継されたもプログラムがもう一度バーデンバーデンで演奏されて、続いてハムブルクのエルフィで、そして二回ベルリンで演奏される予定になっていた。今回の演奏を聴いて、特にショスタコーヴィッチの交響曲九番は完璧なものが録音される予定だった可能性が強く、シュトラウスもまだよくなるだろうと感じた ― もしかするとその期間中に制作録音されるかもしれない。

マガジンにはそのプログラムのアウトラインの前に、ペトレンコ指揮の第九「合唱付き」演奏についても書かれている。書き手はドイチュラントフンククルテューアにいたオラフ・ヴィルヘルマーという音楽ジャーナリストである。

先ずはその歴史的な流れからも、サイモン・ラトルがベートーヴェンを手始めとしなかったことに対して、キリル・ペトレンコを対照させて、前者を聖像破壊、後者を伝統回帰者となどとは言えないとしている。それはフルトヴェングラーに対してカラヤン、カラヤンに対してアバド、アバドに対してのラトルという構造でその都度対極へ振れているからというテーゼによる。

そして、ペトレンコの第九のテムポが取り分け早く、その意味などを考察している。その演奏で、何か新たな第九を示そうとしたわけでもない。それならば歴史的な舞台での圧迫されたものから生じたのか。

1942年の演奏会のプログラムには空襲警報下での様子が示されていて、存在を危うくするような状況が記されているとある。要するに特別な環境における演奏活動が、今年のコロナ禍におけるそれへと繋げられている。

なるほどバーデンバーデンでは、僅か五百人ほどの聴衆が大祝祭会場に集いマスクをしてという状況が展開するところであった。

そして、当該の二曲のベルリナーフィルハーモニカーでの1947年の初演は、「メタモルフォーゼン」がフルトヴェングラーの指揮によって、ショスタコーヴィッチはチェリビダッケの指揮によって演奏されたらしい。

今回のプログラムで最大70人程まで舞台に乗れるように間隔も縮まった。恐らく保険上も認められたのだろう。指揮者のキリル・ペトレンコは客席に関しては少なくても全く問題が無いと語っていて、舞台上での間隔を重要視していた。管弦楽団の要望でもある。それがほぼ解決されたことは、再開の時に最も重要視される点で客席は500人でも一向に構わない。常識的にその程度から再開されるであろう。12月は100人も難しいかもしれないので、来年以降となるだろう。どんなに少なくても無人でやるのとは異なる。

今回のロックダウンへの抗議の声明をペトレンコも出した。

「ここに来ての新たな演奏会の中断は、間違った施策に思える。当然のことながら、ウイルスが広がらないように私たち皆が一役を担うのは当然のことと思う。その為にこの数カ月間多くの積み重ねを為して来ていて、更に進めていく準備が出来ていた。所謂ロックダウンをして、それがフリーランスの仲間たちにノックダウンとならないように殊に注意しなければいけません。」 ― ベルリナーフィルハーモニカー首席指揮者キリル・ペトレンコ



参照:
ロックダウン前最後の演奏 2020-11-01 | 音
疑わしいロックダウン 2020-10-29 | 歴史・時事
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