クリスマス商戦が始まっているらしい。例年ならまだしも今年はそんな気持ちにはなれない。それでも目にすると気になるものもある。
朝は計画通りに銀行に行って現金を下ろした。夜明け前でヘッドランプを点けて走らなければいけないので、エンジンを掛けたまま銀行に入ることにしていた。エンジンを掛けたままドアを閉めることも可能と分かったので、試してみた。銀行内には温かくして酔っ払いが寝ていた。挨拶もせずにちっらっと見ただけだが、普通の酔っ払いの様だった。酒臭いのはいいが、コロナウイルスまで一晩中吐かれていたら嫌だと思った。
ヘッドライトのほかにもエアコンも薄く入れておかないとフロントグラスが曇る。予定では雲と霧で放射冷却の影響が無く外気温摂氏3度だったが若干放射冷却となって摂氏2度でそれなりに寒かった。パン屋も並んだが直ぐに入れた。やはり寒い週末となると早起きで出てくる人は少なくなる。パン屋の売り子も一人居なくなるようで募集している。以前もその人は休んでいたので忙しいのだろうか。
今日は摂氏二度と知っていたら目出帽型のマスクを試してみるべきだった。まだ手袋は要らないのだが流石にショーツで走るのは止めた。どうせゆっくりしか走らないので長いパンツでもそれほど邪魔にはならないだろう。下りて来てから車が動くかどうかが心配だ。あるターミナルの電圧は69%から44%へと落ちている。どうも警報が出たままなので回路上の問題のようだ。バッテリーの総電圧は13.5どころか13.6も保っているので大丈夫だと思う。
前回のキックダウンしてからのエンジンの吹きの悪さは、アクセルのワイヤーを少し締めるだけで直ったようだ。ケーブルが切れた記憶は自転車のブレーキからの連想だったようで、前の車ではワイヤーがささくれ立ってアクセルが戻らなくなったことがあった。旅行先で偶々自動車のエンジニアーが乗っていたことからそのササクレを見つけてくれてそれを剥がしたのだった。アクセルが戻らないよりは安全であるが踏み込んだ時に思うように動かないとこれもまた事故につながる。少し絞っただけでもいい感じになったので良かった。
来週はベルリンから再び無人の公演が中継されることになった。本来ならば国内ツアーの第二プロをもう一度フィルハーモニーで演奏して、恐らく録音する心算だったのだろう。それがロックダウンで中止となったので、交響曲九番の代わりに同じショスタコーヴィッチの交響曲八番が演奏される。急になぜ八番か分からなかったが、来年年明けにペトレンコの指揮科の先生ビシュコフの指揮によって演奏されて、同じプログラムが復活祭で掛かることになっていた。
つまり、前半はリサ・バティシュヴィリのチャイコフスキーと後半はこの曲だったのが変更されたという事だ。考えられる理由は休憩無しで演奏するには他の作品に変更になるという事だろう。少なくとも短期間に決まったという事はキリル・ペトレンコはこの八番交響曲をよく知っているという事に違いない。九番は作曲家への価値を変えるような演奏だったが、より重要とされてきた作品八番の指揮がとても楽しみである。
因みに前任者サイモン・ラトル時代に唯一ベルリンで聴いたプログラムがこの八番で、このコムビでの最初の生体験として大変期待していただけに、些か失望した。同時刻にコンツェルトハウスで同じ曲をアシュケナージが振っていたのでそちらに行けばよかったぐらいに思っていた。再び、ラトル時代のレパートリーを上書きしてしまうペトレンコには本当に恐れ入る。
束の間乍ら天気が良かった。バルコンなどの掃除の床が乾くのが早い。これで年内の掃除などの見通しが付いた。クリスマスに八百屋で貰った幾つもの小鉢が順々に蕾から開花して行く。室内温度などにもよるかもしれないが、全て時期が鉢毎に異なっている。待降節から新年遅くまで次々に咲いて行く筈だ。
参照:
ラクロワに黒マスク集団 2020-09-05 | 文化一般
新年から必要な厚着 2020-11-06 | 暦
朝は計画通りに銀行に行って現金を下ろした。夜明け前でヘッドランプを点けて走らなければいけないので、エンジンを掛けたまま銀行に入ることにしていた。エンジンを掛けたままドアを閉めることも可能と分かったので、試してみた。銀行内には温かくして酔っ払いが寝ていた。挨拶もせずにちっらっと見ただけだが、普通の酔っ払いの様だった。酒臭いのはいいが、コロナウイルスまで一晩中吐かれていたら嫌だと思った。
ヘッドライトのほかにもエアコンも薄く入れておかないとフロントグラスが曇る。予定では雲と霧で放射冷却の影響が無く外気温摂氏3度だったが若干放射冷却となって摂氏2度でそれなりに寒かった。パン屋も並んだが直ぐに入れた。やはり寒い週末となると早起きで出てくる人は少なくなる。パン屋の売り子も一人居なくなるようで募集している。以前もその人は休んでいたので忙しいのだろうか。
今日は摂氏二度と知っていたら目出帽型のマスクを試してみるべきだった。まだ手袋は要らないのだが流石にショーツで走るのは止めた。どうせゆっくりしか走らないので長いパンツでもそれほど邪魔にはならないだろう。下りて来てから車が動くかどうかが心配だ。あるターミナルの電圧は69%から44%へと落ちている。どうも警報が出たままなので回路上の問題のようだ。バッテリーの総電圧は13.5どころか13.6も保っているので大丈夫だと思う。
前回のキックダウンしてからのエンジンの吹きの悪さは、アクセルのワイヤーを少し締めるだけで直ったようだ。ケーブルが切れた記憶は自転車のブレーキからの連想だったようで、前の車ではワイヤーがささくれ立ってアクセルが戻らなくなったことがあった。旅行先で偶々自動車のエンジニアーが乗っていたことからそのササクレを見つけてくれてそれを剥がしたのだった。アクセルが戻らないよりは安全であるが踏み込んだ時に思うように動かないとこれもまた事故につながる。少し絞っただけでもいい感じになったので良かった。
来週はベルリンから再び無人の公演が中継されることになった。本来ならば国内ツアーの第二プロをもう一度フィルハーモニーで演奏して、恐らく録音する心算だったのだろう。それがロックダウンで中止となったので、交響曲九番の代わりに同じショスタコーヴィッチの交響曲八番が演奏される。急になぜ八番か分からなかったが、来年年明けにペトレンコの指揮科の先生ビシュコフの指揮によって演奏されて、同じプログラムが復活祭で掛かることになっていた。
つまり、前半はリサ・バティシュヴィリのチャイコフスキーと後半はこの曲だったのが変更されたという事だ。考えられる理由は休憩無しで演奏するには他の作品に変更になるという事だろう。少なくとも短期間に決まったという事はキリル・ペトレンコはこの八番交響曲をよく知っているという事に違いない。九番は作曲家への価値を変えるような演奏だったが、より重要とされてきた作品八番の指揮がとても楽しみである。
因みに前任者サイモン・ラトル時代に唯一ベルリンで聴いたプログラムがこの八番で、このコムビでの最初の生体験として大変期待していただけに、些か失望した。同時刻にコンツェルトハウスで同じ曲をアシュケナージが振っていたのでそちらに行けばよかったぐらいに思っていた。再び、ラトル時代のレパートリーを上書きしてしまうペトレンコには本当に恐れ入る。
束の間乍ら天気が良かった。バルコンなどの掃除の床が乾くのが早い。これで年内の掃除などの見通しが付いた。クリスマスに八百屋で貰った幾つもの小鉢が順々に蕾から開花して行く。室内温度などにもよるかもしれないが、全て時期が鉢毎に異なっている。待降節から新年遅くまで次々に咲いて行く筈だ。
参照:
ラクロワに黒マスク集団 2020-09-05 | 文化一般
新年から必要な厚着 2020-11-06 | 暦