Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

初日迫る「魔女」に想う

2022-12-04 | 
フランクルトの新制作「魔女」の初日が迫る。燃料を入れてきた。この辺りは未だ明け方ぐらいしか零下にはならないので不凍液も不要だ。摂氏三度ぐらいならば本当は夏タイヤでも走れるところだ。

18時開演で17時半からレクチャーとなるのでやはり17時前には入庫となる。日曜日なのでシティー渋滞も無く走れるのでゆっくり時間を掛けて走ればよい。プレス席などの残券が出ている。こちらの欲しい席は定期の人に握られていて入らないのだが、少しだけ色気があったのは最前列の横の方だ。歌手だけでなく指揮もよく見える。ただし初日は安い日に比べれば四割り増しほどなので少し高過ぎる。少なくとも歌手目当てとなると何が起こるか分からないので大きなリスクは背負えない。

アスミク・グリゴーリアン自体は既にパトロンの舞踏会に顔を出していたようで準備万端の様であるが、脱コロナ期でもありやはり出てくるまでは分からない。嘗てフランクフルトの支配人が比較するマリアカラスの場合の様な難しさはないのだが、それでも二度振られているのでそこ迄は安心ならない。

初日の様子でこれはと思えば追加購入する可能性はある。その判断に大きな要素を占めるのは第一にグリゴーリアンの調子と間違いなく出てくる意気込みが感じられるか、第二に指揮者である。指揮者が良ければ誰が歌ってもある程度の水準に達する。特にこの曲は管弦楽法的にヴァ―クナーを継ぎながらもマーラーにも近い。敢えて言えばスークなどにも繋がるだろう。

なるほど「スペードの女王」の様な音楽的な表現というよりもバレー音楽とかそうした情景の上限も多いのだが、中々効果的であって、ネットではそれ程演奏できている録音はない。上手に演奏すれば可也の効果を生ずる音楽で、最早チャイコフスキーオペラうるさ方からすれば、ちゃんと演奏してくれと言いたい。

一幕のフィナーレなどは重唱も決め手で、また弦の重音など「ローエングリン」だけでなくてレティタティーヴの挟み方などにヴァクナーを髣髴させる。オペラ愛好家にはヴァ―クナーとその後のリヒャルトシュトラウスなどの間が中々繋ぎ難かったのだが、ドヴォルザークなどよりも遥かに流れにある。

主役のクマの歌詞もとても多くて、グリゴーリアンもロシア語だから軽く歌えるのだろうと思う歌詞があると同時にダイナミックスをつけたりで、録音等では出来ていないところが彼女の声で脳裏に響く。歌手も彼女ぐらいになるとどの様に歌えるかは予想可能であり、まさしく楽譜を音化するのを期待すると同時に芝居の中での演出の通りの身を持った表現を待ち侘びるしかないのである。

要するに魅力満載の舞台となることは大いに期待されて、並行上演の既に観た再演「マノンレスコー」の良席との兼ね合いがどうなるのか。「マノンレスコー」にもう一度行くなら「魔女」にももう一度行くことになるのではないか。日程とか、可能性とかを色々と想定している。



参照:
みんなみんな狼だか 2022-12-01 | 文化一般
金持ちのチャイコフスキー 2022-11-29 | 文化一般
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