初めての「ヘンゼルとグレーテル」公演、家族連れと一緒になってドキドキもしながら感動した。一人席が最後まで売れて行ったので、家族公演とはしながらもどの程度の家族が訪れているのかは分からなかった。感じからするとハイティーンの同伴を含めて思いのほか家族が多かった。すると、態々選んだ席である最前席の後ろの二つも婆さんと孫に座られてしまった。予想通り、話しっぱなしで袋をガサガサもやっていた。咎めることも出来たが、あくまでもこちらが家族公演に混ぜて貰っているという立場で押し通した。そのお陰で最後の最後まで自然に盛り上がって頂いて、劇場の大半の感覚を身近でも感じられたのがなによりもだった。
更に思いがけなかったのは、奈落の中に恐らく子供ガイダンスに申し込んだ子供が指揮者の横に壁に背中をつけて36人程ずらっと並んで座った。若干不安な気持ちはしたのだが、全く何事もなく一度の休憩を挟んで最後迄盛会となった。
特に気になったのは指揮者の右手の右方に座る子供が気にならないかなと思っていたのだが、写真を再確認すると最初から座っていて、もしかすると指揮のエンゲルの子供でないかと思った。それ程全く気にしていない振り方をしていたのだ。
音楽的な詳細よりも演出のそれを語るよりもなによりも最後の幕が閉じてから主役二人が現れるまでのその劇場の熱気が凄かった。今迄この劇場で幾つもの超名演公演を体験した筈なのだが、聴衆が若干違ってもその高揚感というか終始感というかあまり感じたことがない雰囲気だった。どちらかというと幕袖から二人を出す為のスポットが当たるまでにも可也の拍手が続いていて、平土間からは奈落の中もよく見えなかった筈なのだが、あの感じは忘れ難い。こちらは上から客演のエンゲルと第一級の面子を集めた世界最高の座付き管弦楽団との挨拶を観察していた。
コンツェルトマイスターも「ローエングリン」では定年も遠くないヴォルフが入り、こちらには今後を担うシュルトハイスが受け持ちサブにおばさんがついて、後ろにはキムさんとアメリカ人と、まるでペトレンコ時代の再来の様な顔ぶれで、木管も山賊兄弟が入ってと殆どベストメムバーに近かった。一体劇場がこうした公演をどのような枠組みでやっているかがよく分かる面子で、トラムペットに音を外すロータリーのオヤジまでで入っていて、エンゲルの楽器でもあるコントラバスも女性の人が入っていたりで、こういうところは自身の家族サーヴィスもあるのかなとも思わせた。
しかし、期待されたホルンにベルリナーフィルハーモニカーでの客演でもお馴染みの名人のデングラーが入ることはなかった。少し残念に感じたのだが、この演出を観るとそのホルンの響きというのは一般的な森の象徴的なものとは狙いが異なると直ぐに合点がいった。それほど朗々と鳴らすような音楽ではなく、その点では九月に演奏された「魔弾の射手」におけるパロディー化などが必要なあからさまな独ロマン主義とは一線を隠すものであったという事だ。その作曲年度や初演からして当然至極のことなのであるが、古典的とされるようなグリム童話の如き演出がなされるときに、そうした音楽芸術的な本質を外れて、非常に低俗なメルヘン子供向き劇場作品となってしまうということでもある。(続く)
HÄNSEL UND GRETEL, Sonntag, 18. Dezember 2022, Nationaltheater.BSO, Titus Engel
参照:
主役を担うのは歌える歌手 2022-12-22 | 文化一般
雪模様のミュンヘン旧市街 2022-12-20 | 雑感
更に思いがけなかったのは、奈落の中に恐らく子供ガイダンスに申し込んだ子供が指揮者の横に壁に背中をつけて36人程ずらっと並んで座った。若干不安な気持ちはしたのだが、全く何事もなく一度の休憩を挟んで最後迄盛会となった。
特に気になったのは指揮者の右手の右方に座る子供が気にならないかなと思っていたのだが、写真を再確認すると最初から座っていて、もしかすると指揮のエンゲルの子供でないかと思った。それ程全く気にしていない振り方をしていたのだ。
音楽的な詳細よりも演出のそれを語るよりもなによりも最後の幕が閉じてから主役二人が現れるまでのその劇場の熱気が凄かった。今迄この劇場で幾つもの超名演公演を体験した筈なのだが、聴衆が若干違ってもその高揚感というか終始感というかあまり感じたことがない雰囲気だった。どちらかというと幕袖から二人を出す為のスポットが当たるまでにも可也の拍手が続いていて、平土間からは奈落の中もよく見えなかった筈なのだが、あの感じは忘れ難い。こちらは上から客演のエンゲルと第一級の面子を集めた世界最高の座付き管弦楽団との挨拶を観察していた。
コンツェルトマイスターも「ローエングリン」では定年も遠くないヴォルフが入り、こちらには今後を担うシュルトハイスが受け持ちサブにおばさんがついて、後ろにはキムさんとアメリカ人と、まるでペトレンコ時代の再来の様な顔ぶれで、木管も山賊兄弟が入ってと殆どベストメムバーに近かった。一体劇場がこうした公演をどのような枠組みでやっているかがよく分かる面子で、トラムペットに音を外すロータリーのオヤジまでで入っていて、エンゲルの楽器でもあるコントラバスも女性の人が入っていたりで、こういうところは自身の家族サーヴィスもあるのかなとも思わせた。
しかし、期待されたホルンにベルリナーフィルハーモニカーでの客演でもお馴染みの名人のデングラーが入ることはなかった。少し残念に感じたのだが、この演出を観るとそのホルンの響きというのは一般的な森の象徴的なものとは狙いが異なると直ぐに合点がいった。それほど朗々と鳴らすような音楽ではなく、その点では九月に演奏された「魔弾の射手」におけるパロディー化などが必要なあからさまな独ロマン主義とは一線を隠すものであったという事だ。その作曲年度や初演からして当然至極のことなのであるが、古典的とされるようなグリム童話の如き演出がなされるときに、そうした音楽芸術的な本質を外れて、非常に低俗なメルヘン子供向き劇場作品となってしまうということでもある。(続く)
HÄNSEL UND GRETEL, Sonntag, 18. Dezember 2022, Nationaltheater.BSO, Titus Engel
参照:
主役を担うのは歌える歌手 2022-12-22 | 文化一般
雪模様のミュンヘン旧市街 2022-12-20 | 雑感