(承前)音楽劇場における感動とはどこからやってくるのか。隣のおばさんは初日よりも千秋楽の方が一部で感動したと話していた。私自身はそうではなかった。原因は初日は舞台のより分かり易い下の席に座っていたからではないからだろうかとも答えたが、やはり演奏自体は変わって来ていてより正確に音を出すようになっていたと話した。
成程いつものように新制作の初日は歌手も調整してきていて緊張感もただものではない。そしてそこで評価の殆どは決まる。但し今回の作品のように厳密に音を合わせるのが難しい楽曲の場合、やはり演出に合わせて歌に合わせて如何に狙った効果を得るかに最大限の努力をするしかないということである。
小澤指揮による初演はその点からいっても最大限の仕事をしていて、それだけの練習時間を要求したに違いない。それでもメシアンの指示通りの500人規模の合唱団による公演などは不可能でしかなかった。こうした音楽劇場新制作に一体どのような創造的な活動が必要かはこれだけでも分かるのではなかろうか。
レクチャーにて、来年にジュネーヴでそしてハムブルクで上演されるとの情報も出された。逆にそれだけ初演後の舞台上演回数が限られていて、コンサート形式では意味を持たないというのが、まさしく今回の一部でオラトリオ風の聖劇のように上演されたことでも理解された。ドラマの無いところのドラマ。歌詞自体も聖句のようなものが続いたりと、要するに舞台での芝居から歌になるという要素は少ない。
つまり音楽に従って舞台が進行するという劇場空間が重要になる。その為に複雑なリズムで音楽が進んで行く。より正確に楽譜を音化するということが齎すものは、小澤指揮のようなリズムの精妙さでの輝きもある一方、やはり動機的に重要なモードを描き出すこともとても重要になる。なぜならばそれが終景迄重要な主題となっているからである。
千秋楽での演奏がなによりも優れていたのは、やはり指揮者だけでなく楽員各々にそうした関連が身体に沁み込んでいて、より実感を伴った表現が可能になっていることだったろう。個人的には、よってどちらかというととても批判的に一部を聴いていた。勿論まだここはとか、録音として残すなら細かに修正したいところもあったのだが、更に舞台の横で観ているとより劇と奈落とのタイミングなど、前で観ていた時よりもより精妙さが気になった。歌手も疲れているだろうからそれ以上に管弦楽が流れを制御していくことの方が全体にとって何よりも成功へと導くと考えられていたに違いない。そしてこれが一番問題のあった二部のオープンエアーで成果を齎したに違いない。(続く)
SAINT FRANÇOIS D’ASSISE, So., 9. Juli 2023, I (15:03), Staatsoper Stuttgart
参照:
愛する者のみが赦される 2023-06-13 | 文学・思想
行動食、濡れティッシュなど 2023-06-03 | 文化一般
成程いつものように新制作の初日は歌手も調整してきていて緊張感もただものではない。そしてそこで評価の殆どは決まる。但し今回の作品のように厳密に音を合わせるのが難しい楽曲の場合、やはり演出に合わせて歌に合わせて如何に狙った効果を得るかに最大限の努力をするしかないということである。
小澤指揮による初演はその点からいっても最大限の仕事をしていて、それだけの練習時間を要求したに違いない。それでもメシアンの指示通りの500人規模の合唱団による公演などは不可能でしかなかった。こうした音楽劇場新制作に一体どのような創造的な活動が必要かはこれだけでも分かるのではなかろうか。
レクチャーにて、来年にジュネーヴでそしてハムブルクで上演されるとの情報も出された。逆にそれだけ初演後の舞台上演回数が限られていて、コンサート形式では意味を持たないというのが、まさしく今回の一部でオラトリオ風の聖劇のように上演されたことでも理解された。ドラマの無いところのドラマ。歌詞自体も聖句のようなものが続いたりと、要するに舞台での芝居から歌になるという要素は少ない。
つまり音楽に従って舞台が進行するという劇場空間が重要になる。その為に複雑なリズムで音楽が進んで行く。より正確に楽譜を音化するということが齎すものは、小澤指揮のようなリズムの精妙さでの輝きもある一方、やはり動機的に重要なモードを描き出すこともとても重要になる。なぜならばそれが終景迄重要な主題となっているからである。
千秋楽での演奏がなによりも優れていたのは、やはり指揮者だけでなく楽員各々にそうした関連が身体に沁み込んでいて、より実感を伴った表現が可能になっていることだったろう。個人的には、よってどちらかというととても批判的に一部を聴いていた。勿論まだここはとか、録音として残すなら細かに修正したいところもあったのだが、更に舞台の横で観ているとより劇と奈落とのタイミングなど、前で観ていた時よりもより精妙さが気になった。歌手も疲れているだろうからそれ以上に管弦楽が流れを制御していくことの方が全体にとって何よりも成功へと導くと考えられていたに違いない。そしてこれが一番問題のあった二部のオープンエアーで成果を齎したに違いない。(続く)
SAINT FRANÇOIS D’ASSISE, So., 9. Juli 2023, I (15:03), Staatsoper Stuttgart
参照:
愛する者のみが赦される 2023-06-13 | 文学・思想
行動食、濡れティッシュなど 2023-06-03 | 文化一般