Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

聖人の趣の人々

2023-07-01 | 文学・思想
この辺りでチャットパートナーの彼女にもなにか書いておかないといけないかもしれない。口説くということもあるのだが、それ以前にこの間に体験したことを上手に短く纏めて伝えておきたい。

なによりも新制作「アシジの聖フランシスコ」においての感慨は彼女の活動無しには理解に至らなかった面が少なくあるからだ。なによりも後ろ手縛りで足の裏を羽根で擽られてのその動物の様な動きのセクエンスに言及しておきたい。その情景はまさしく聖フランシスコの動物振りであって、天使が蟷螂というのにも通じる。

そこで示されたのは獣医志望である彼女の万物への愛が聖人のそれそのものであるようで同じような表現になるのは自明なのだ。そして蔑まれる様なそれどころか自身の健康を危険に曝す行いによって弱者に目線を等しくして手を差し伸べる。聖女でなければ為されない。

勿論その様なことは言及に値しないが、恐らく彼女自身の自らの行いが明文化されていないところがあると思うので、それを指摘する為にも「アシジの聖フランシスコ」の短いセクエンスのリンクを付けたい。表現としての洗練は別としても彼女がやることはやはり神懸っている。

音楽芸術においても全く同様で、評論家とか玄人の仕事はそうした表現に対して何らかの認識をする事が批評であり、そこで起こっていることを伝える事こそがジャーナリズムである。そうしたフィードバックによってのみ表現は洗練されていく。

シュトッツガルトの駐車場から劇場への地下通路にいつも同じ物乞いのオヤジがいる。先日初めて1ユーロも献金した。駐車料金は日曜価格で僅か4ユーロ、それぐらいはしてもいい。そしてコインを落とすとこちらの顔をしっかりと見る。普段から普通に丁寧に挨拶するオヤジさんなので誰も嫌な気はしないのだが、流石に1日に何回も通ると知らぬ顔が出来なくなる「アシジの聖フランシスコ」の公演である。

その顔つきからユダヤ系の人だと思われる。結構な収入があるのではないかと思うぐらいなのだ。文化的な催しものに行く人をターゲットにしている。キャムピングチェアーみたいなものも使っている。少なくとも今回の音楽劇場制作「アシジの聖フランシスコ」においてはまるでそこに配置されているかのようにさえ感じた。



参照:
動物のミミックな動機表現 2023-06-20 | 音
聖女の嘘の様な物語 2023-06-08 | 女
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